「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2011年4月15日金曜日

#254 災害時の教師!












おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は気温10.3 ℃、南東の風、風速 5.3m/s、
湿度62%、気圧 1009.2hPa、温かい晴れの朝を迎えました。


災害時、
教師がまず第一に気にかけるのは、
学校の子どもたちの安否です。
それは、
親が自分の子どもを心配するのと同じです。
今回の大震災の後、
教師が子どもたちの安否確認のために被災地を回ったり、
瓦礫の中を探し回り避難所にチラシを配りながら、
情報を聞き出す姿があちこちで見られました。
子どもたちに生きていてほしい、
子どもたちの元気な顔が見たい。
願いはそれだけです。


ある教員は次のように語っています。
「教師の仕事は、
 子どもと毎日触れあいながら、
 命を守り、成長を見守ること。
 今回の震災で、その重さをなおさら強く感じた。
 それを忘れず、教師を続けていきたい。」


被災地では、
学校の立地条件などによってそれぞれ状況が異なります。
子どもたちの命を守ることができた学校があります。
子どもたちを助けることができなかったケースもあります。
子どもたちを救おうとして行方不明になった教師もいます。

学校が津波に飲み込まれた学校があります。
避難所となり、
不眠不休で被災者のお世話をしている学校があります。

それぞれに辛い体験であったことは間違いありません。
しかし、もっと辛いのはこれからなのかもしれません。
救いは、
何よりもけなげに頑張っている子どもたちの姿であり、
子どもたちの笑顔です。

そして、
日本中の笑顔と世界中の善意が、
それを後押しします。

がんばろう日本!
がんばろう東北!
がんばろう子どもたち!


さあ今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

2011年4月14日木曜日

#253 子どもたちのかべ新聞!
















おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は気温10.5℃、南の風、風速 3.9m/s、
湿度65%、気圧 1012.1hPa、快晴の暖かい朝を迎えました。

今回の大震災によるダメージの大きさは測り知れません。
大津波によって、都北の沿岸地帯は
街がなくなるほどの大きな被害を受けました。

しかし、
立ち直る希望はゼロではありません。

もともと三陸の沿岸地帯は、
前を流れる親潮と、
後に背負った奥羽山脈の豊かなブナ林とによる、
豊かな漁業資源に支えられてきたのです。

その親潮とブナ林は両方とも健在です。
だから、必ず復興できます。
資源あるところに人は集まり、
人の集まるところに経済が発展する。
大丈夫です。


がんばろう日本!
がんばろう東北!
がんばろう子どもたち!










避難所では、
子供たちがかべ新聞を作っていました。
救援物資などに対するお礼の言葉やみんなへのメッセージなど、
自分たちで考えて、
被災者みんなを励ますためにと、
毎日、掲示板に貼り付けていました。
希望を持ってほしい、
明るくなってほしいという願いが込められていました。

親潮のたくましさ、
ブナ林の豊かさ、
その両方が、
子どもたちの心に中に生きています。


さあ今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

2011年4月13日水曜日

#252 弟をひっぱってかけ出した!















おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は気温10.3 ℃、南西の風、風速 8.4m/s、
湿度60%、気圧 1008.9hPa、
少し風が強いのですが、曇り空の温かい朝を迎えました。
アスファルトの割れ目から、
小さな春が顔を出し、花をつけていました。
仙台市の桜も咲いたというニュースがありましたし、
もうすぐ、
東北にも春が来るようです。


さて、
昨日の続きですが、
もう一人の子どもの作文を紹介しましょう。


************************

僕は寝ていた。
ガタガタと家が動く音に目をさまして、あたりを見た。
真暗なので、なにも見えない。
いつもの地震では電灯は消えないのに、と思いました。
僕は、なにか恐ろしいことが起るのではないかと思って、
はね起きて服を着た。

またガタガタと家が動く。ますます恐ろしくなった。
一番上の兄さんが、
寝巻を着たまま神棚にあるローソクに火をつけて持ってきた。
あたりが、急に明るくなった。
兄さんは「こら、皆起きて服を着ろ」と言った。
弟と兄さんもはね起きて、服を着た。
「そのまま床に入ってろ」と、兄さんは表へ出て行った。
まだ地震はやまない。
僕たちが床に入っていると、あわただしく戻ってきて、
「津波だ、山さ逃げろ」と言った。
僕たちは服を着ていたので、
床から起きるとすぐ靴をはいて表に出た。
まさか津波が、と思いながら走った。
橋の所に来ると、人がたくさんいた。
横を向くと兄さんが見えない。
それでも、弟をひっぱってかけ出した。
里の方で「助けてくれ、助けてくれ」という声が聞こえた。

(中略)

坊主山のてっぺんでたき火にあたりに行くと、
弟も兄さんも来た。
誰も死なないので安心した。

(中略)

「お前たちはよく助かったなあ」と言って、
父は涙をためていた。
父は、背中から餅をたくさん出してくれた。
食べながら津波の話を父に教えた。
父は、涙をためて聞いていた。

***********************


東北の沿岸部の地域の人たちは、
このような大きな津波を、
明治29年の大津波、
昭和8年の大津波、
そして、
昭和35年のチリ地震津波と
3回経験したことが記録に残っている。
そのたびに、
壊滅的な被害を受けながら、逞しく復興してきた。



がんばろう日本!
がんばろう東北!
がんばろう子どもたち!


今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

2011年4月12日火曜日

#251 子どもたちの笑顔の裏側に!












おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は気温5.3℃、北の風、風速 4.0m/s、
湿度52%、気圧 1015.6hPa、快晴の朝を迎えました。


題名:「三陸海岸大津波」

昭和45年に作家の吉村昭さんが書いた記録集です。
今度の東日本大震災の直後に、
なじみの本屋さんに注文したところ、
昨日、やっと手元に届きました。
折しも、ちょうど大震災一ヶ月目でした。

その本の中に、
昭和8年の大津波に被災した
尋常小学校の子どもの作文が載っています。
そのひとつを紹介します。


********************


大きなじしんがゆれたので、
着物を着たりおびをしめたりしてから、
おじいさんと外へ出て川へ行って見ました。

その時はまだ川の水はひけませんから、
着物を着てねました。
そうしておっかなくしていると、
外でつなみだとさわぎました。

私は、ぶるぶるふるえて外に出ましたら、
おじいさんが私を背負って山へ走りました。

山でつなみを見ました。
白いけむりのようで、おっかない音がきこえました。
火事もあって、みんながきました。

夜があけてから見ましたら、
家もみんなこわれ友だちも死んでいたのです。
私もなきました。

********************


これは昭和8年のことですが、
季節は、
今回の東日本大震災と同じ、冬の3月でした。

大きな地震の30分後、
その大津波が押し寄せたといいます。
そのため、
冬の夜の寒さに耐えきれず、
地震のあとで布団に入って眠ってしまったり、
逃げ遅れた者が多かったと記録されています。

およそ80年前の出来事ですが、
地震や津波に対する驚異は、今と同じであったと思われます。

今回の大震災でも、
多くの子どもたちが大津波の恐怖を体験しました。
日中の出来事であっただけに、
その時の記憶は鮮明です。
地獄のような光景を思い出すときもあるのでしょう。
ふさぎ込んだりしていないか心配です。


無理に聞き出したり、
問いただしたりしないで、
まるで氷が溶けるように、
自然に自分から話すように、
自分から日記や作文などに記すように、
そばに寄り添ってあげることが大事です。
寄り添う人が必要です。
もちろん、物資の救援も必要ですが、
これからは、
そういった子どもたちへの心の救援が必要です。
子どもたちの笑顔の裏側にも、
必ず光があたる日が来ることを信じます。

がんばろう日本!
がんばろう東北!
がんばろう子どもたち!


さあ今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

2011年4月11日月曜日

#250 屋外で活動していいか、分からない?
















おはよがんす、まめでらしか~?
震災後一ヶ月の秋田は、気温5.8℃、北北西の風、風速 3.6m/s、
湿度90%、 気圧1011.6hPa、雨降りの週明けを迎えました。






これは、ドイツ気象局による、
福島第一原発から出た放射性物質の
拡散分布予測(日本時間4月5日午後9時を想定)である。
実際にこの通りの放射性物質が、
地上に降下することを示すものではない。
また、
その日の風向や風速の変化によって、
その範囲や降下量も変化するものです。


同じような拡散予測をIAEAもおこなっており、
気象庁のHPで公表している。


気象庁ホームページhttp://www.jma.go.jp/jma/kokusai/eer_list.html


そして、こんな説明を付けている。



<資料を参照する上での注意事項>
 ・ これらの計算結果は、IAEAの指定する放出条件に基づいて計算した
ものであり、いわば仮定に基づくものであって、実際に観測された放
射線量等は反映されていません。
 ・ 当庁の同業務における計算の分解能は100km四方と、避難活動等の
判断にとって極めて粗い分解能で行われているものであり、このため、
この結果は国内の対策には参考になりません。
 ・ 国内の原子力防災については、緊急時迅速放射能影響予測ネットワ
ークシステム(SPEEDI)による試算結果が公表されています。


しかし考えてみると、天気予報だって、
仮定に基づいて計算した結果の予測である。
そのため、天気情報と言わないで天気予報と言うのであり、
私たちはこの天気予報を参考にして日常生活をおくっている。
放射性物質の拡散予測だって同じではないだろうか。
一日、外で無防備に仕事をして、
翌日になってから実は昨日は何ベクレルでしたなどと
報道されても後の祭りである。
「国内対策の参考にはなりません」というけれども、
日常生活の参考になるのではないだろうか。
確かに、現在は拡散している放射性物質の量は、
公表されているように少なく、直ちに健康への影響はないだろう。
しかし、今後の福島原発の状況しだいでは、
拡散予測に基づいて雨合羽やマスク・手袋の着用が
不可欠にならないとも限らない。
政府がこれまで公表を躊躇してきた理由は分かるが、
隠蔽してきた理由が分からない。




現在、気象庁のHPには、
IAEA による拡散予測が公表されている。
しかし、全て英文で図も白黒で分かりにくい。
本当に国民の安全を考えているなら、もっとタイムリーに、
もっと見やすく分かりやすい形で公表してほしいものである。


天気よりも分かりにくい放射線、
目に見えない放射線、
だからこそ、
保護者や学校にとっては、
今日、子どもたちを屋外活動をさせていいか、どうか?
その判断基準や判断材料が欲しいのです。




がんばろう日本!
がんばろう東北!
がんばろう子どもたち!





さあ今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!