「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年10月16日土曜日

#123 天国と地獄
















努力する人は、希望を語り、
怠け者は、不満を言う。


若者は、やってしまったことを後悔し、
老人は、やらなかったことを後悔する。


男は、生まれ変わったらもう一度と言い、
女は、生まれ変わったら別の人と言う。


俺は、「幸せは努力しだい」と言い、
妻は、「幸せはあなたしだい」と言う。


天国に昇ると言い、
地獄から這い上がると言う。


こうやって並べて考えると、
天国も地獄も心がけしだいだと思うのが、
そこは、
世の中、
思い通りにはいかないらしい。


それでも、
今日もまた、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
頑張りましょう!

2010年10月15日金曜日

#122 キリンもマムシも特定動物!
















学校の近所の住民が、「マムシを捕まえたので、観察学習に使って」と生きたマムシを持ってきた。校長は「生徒に、危険なヘビを識別できるようになってほしい」と、早速、生きたマムシが入ったプラスチック容器のフタを針金で固定して、校舎の廊下に展示した。先月兵庫県宝塚市の中学校で、実際にあった話である。宝塚市とはいっても、この中学校は山間の全校生徒53名の小規模校である。法律で義務づけている県知事の保管許可も得ておらず、兵庫県が事実関係の調査を始めたようだ。何とも人騒がせな事件である。


キリンやゾウを、自宅で飼育するテレビCMがある。SMAPの香取慎吾が、宝くじの当選金でキリンやゾウを購入するコミカルな物語である。穴を開けた屋根から首を出すキリンに、屋根に登ってエサを与えている場面が印象的である。普通の家で、キリンやゾウを飼育するという突拍子もない発想で視聴者の度肝を抜く。しかし、このキリンやゾウは、誰でも飼育していいのか。飼育するために、どんな手続きが必要なのかについて、CMは何もふれていない。


実は、動物愛護管理法という法律がある。その第二十六条には、人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物として政令で定める動物(以下「特定動物」という。)の飼養又は保管を行おうとする者は、管轄する都道府県知事の許可を受けなければならない、と定めている。ここでいう、特定動物とは、クマ、ライオンなど人の生命や財産に害を加える恐れのある動物である。もちろん、マムシもキリン、ゾウも含まれる。ところが、この法律の別表にある特定動物のヘビの項目を見ると、

 ボア科・・・ボアコンストリクター、アナコンダ、アメジストニシキヘビ、
       インドニシキヘビ、アミメニシキヘビ、アフリカニシキヘビ
 なみへび科・・・ ブームスラング属全種、アフリカツルヘビ属全種、
          ヤマカガシ属全種、タチメニス属全種
 コブラ科・・・コブラ科全種
 くさりへび科・・・くさりへび科全種(タイワンハブを除く。)

と記載されている。


えっ、これだけですか?って感じである。マムシは書いていないぞ。これでは、マムシを飼っている秋田の田舎のじっちゃんや、ハブを飼っている沖縄のおじぃは分からないぞ。実はマムシはハブなどと同じ「くさりへび科」であることを始めて知った。でも、何故、タイワンハブは除くなの?などと疑問は尽きない。人生、死ぬまで学習である

2010年10月14日木曜日

#121 こころ その6
















大人の考えを「押しつけること」は簡単である。
しかし、
それでは子どもの「こころ」に響かない。
それでは子どもの「こころ」は動かない。
多少手ぬるくても、
時間がかかっても、
子どもに「気づかせる」ことが大切である。

「こころ」が動かされ、
「こころ」が動いたときに、
私たちは「気づいた」と思う。




幸せとか、
幸福なんかも、
同じだと思う。
幸せは、
向こうから訪れるものではない。
かといって、
獲得するものでもない。
幸せは「気づく」ことである。

自分の心に気づく。
周囲の愛情に気づく。
そして、
自分の幸せに気づく。
そこから、
自然に、
自分のやるべきことに気づくのではないだろうか。


子どもも、
大人も、
「こころ」は同じ。

その「こころ」が動いたときが、
「気づき」の瞬間であり、
新しい自分のスタートなのかも知れない。


さあ、
これからも、
    笑顔いっぱい
      元気いっぱい
        夢いっぱい
          頑張りましょう!

2010年10月13日水曜日

#120 こころ その5
















ノーベル物理学賞を受賞している江崎玲於奈さんが、
今回ノーベル化学賞の受賞が決まった根岸英一教授との会談の中で、
こんなことを言っている。


「日本では学問を教えるとか、
 人間を育てるという表現をします。
 しかし、
 アメリカのようにやる気を起こさせることが大切なんです。」


私も同感である。
教えられたことや言われたことは、
なかなか身につかない。
しかし、
自分で知りたいと思って学んだことは、いつまでも覚えている。
つまり、
「こころ」が動いたかどうかが重要なのだろう。

いかに子どもの「こころ」を動かすことができるか、
それが教育のポイントではないだろうか。
そして、それは、
家庭でも学校でも、職場でも同じである。

2010年10月12日火曜日

#119 こころ その4
















思春期は、
親からの自立心が高まる一方で
友だちへの依存度が強まる。

この時期の子どもたちの心の中で、
学校で道徳の時間に学んだことと、
現実社会のいろいろな事件と、
テレビドラマやテレビゲームや携帯メールの中の世界は
どう区分されているのだろうか。

一緒に暮らしながら、
家族とはろくに会話もなく、
少し話そうとすれば、
ウザイ、クソババ~、クソジジー、
そんな言葉が返ってくる。
一方、
友だちからの呼び出しには、
夜中でもすぐに出かけるし、
食事中も携帯メールをかかさない。

一緒に暮らしている家族とは、
生活を共にしている実感がなく、
メールでやりとりをしている友達とは、
同じ時間を生きているらしい。

日常の友だちとのつきあいは、
道徳か、現実か、バーチャルか。
ちょっとしたトラブルで関係が壊れかかったときに、
道徳的に考えることができるか、
現実的に対応できるか、
バーチャルの世界とは違うことを認識できるか。

それは、
「命の教育」「心の教育」という枠組みでは
くくれない分野の問題である。