「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年10月1日金曜日

#112  60歳の青春!











長い猛暑が去り、
やっと秋になったと思ったら、
朝夕の気温が涼し過ぎて、
陽射しが恋しいくらいである。
年寄りの身体は変化への順応性がにぶいので、
急激な気温変化に四苦八苦である。
我が儘ではなく、
身体が言うことをきかないのだ。


「青春とは臆病さを退ける勇気、
 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
 ときには、
 二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。」

サミュエル・ウルマンの「青春」である。

ウルマンに言われるまでもなく、
気力や心はまだまだ青春である。
(と思っている)

ところが、
困ったことに、
たるんできた皮下脂肪、
しぼんできた筋肉、
きしんできた関節たちが言うことを聞いてくれない。

それでも、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
頑張りましょう!

2010年9月30日木曜日

#111 通勤ショック!
















毎日、
自家用車を運転して通勤している方が多いと思いますが、
「安全運転してますか?」
先週から秋の全国交通安全運動が始まり、
今日は最終日、
「交通事故死ゼロを目指す日」です。

「交通事故ゼロ」ではなく、
「事故死ゼロ」という
あたりが悲しい現実なようです。
しかし、
少なくとも自分の周囲の人だけでも、
「交通事故ゼロ」をと願っています。


ところで、
交通事故の多い交差点マップというのが、
日本損害保険協会というところから発表されています。
それを見てびっくり、
通勤ショック!

なんと、
私の事務所のすぐ近く、
徒歩20歩の交差点がワースト1。
毎日、
通勤で必ず通る交差点なので、
驚き桃の木山椒の木でした。

あなたの近くは、
大丈夫ですか?
WEBで、
自分の都道府県の状況を確認してはいかが・・・?!

※詳しくは、http://www.sonpo.or.jp/

2010年9月29日水曜日

#110 タバコ値上げ前に、高速道路無料化しろ!
















どこかの政党が、
無料にすると公約した高速道路は未だに有料。
これって、遅すぎ!
それなのに、
後から話題になったタバコの値上げは、
来月からスタートする。
これって、早すぎ!

これに便乗して悪魔がささやく。
「この機会に、タバコをやめたらどうだい?」
しかし、
「そんなに意志が弱い人間じゃない、初志貫徹!」
と意地を張る。

ここで天使が助け船を出す。
「値上げをきっかけに、少し減らしたら?」
それでも、
「大量に買い置きしたから、大丈夫!」
と大見得を切る。

私にとってタバコは、
今まで40年以上も親しんできた親友である。
ここで別れてしまうのは、
なんとも忍びない。

♪ 一人寂しく 佇めば
  タバコの煙 ただひとすじ ♪

この歌のように至福の瞬間を失ってたまるか。
たかが値上げで、
至福の瞬間を失いたくはない。

2010年9月28日火曜日

#109 余白と李白
















 若い頃、生来の内気な性格から管理職や同僚にこびることが嫌いであった。だから、いつも人が集まっているところを避け、一人離れていた。昼休みなど、主任のまわりに群がって、親しく私語をかわしているような同僚が苦手だった。そのため、同僚とも必要最低限のやりとりしかせず、飲み会にも行かないし、行っても管理職のそばには近づきもしなかった。


 ある時、親しい先輩からこっぴどく怒られた。「おめだば、何考えているが、わがらねな」と。しかし自分では、バガしゃべりしている暇があったら、黙々と仕事している方がいいと思っていた。それでも、問題が発生したり、困った時には同僚や主任に相談するなど、必要なときに、必要なコミュニケーションはしっかりとってきたつもりである。


書道は筆使いの上手下手だけでなく、墨と余白のバランスだよ。書道だからといって紙面一杯に字を書けば、それは単なる黒い紙じゃないか。「仕事も職場も同じ、人生も同じだよ、余白が必要、余白が」そう言いながら、飲めない私をゴルフや山菜採りやパチンコに誘ってくれた先輩がいた。数年前に鬼籍に入ってしまったが、彼がいなければ今も紙面一杯に字を書き尽くす人生を送っていただろう。しかし、私の余白が普通の人以上に多すぎるのは、すべて彼の影響である。良い先輩でもあり、悪い先輩でもあった。


 必要なときに必要なコミュニケーションをとってきた。こう言えば聞こえはいいが、逆に、必要なとき以外はコミュニケーションをとらなかったのである。若い頃の必要なときとは、自分のミスでお手上げになったときである。懸命な私にとって、それは仕事の3%くらいの部分で、残りの97%は淡々とこなす日常であった。だとすれば、周囲の同僚や主任にとって、私の3%が私の全てであったのだろう。これでは、「何考えているが、わがらねな」と言われてもしょうがない。彼らの余白と私の余白を共有する時間が、もっと必要であったことは言うまでもない。李白に「月下独酌」という漢詩がある。 
 花間一壷酒 独酌無相親 挙杯邀明月 
 対影成三人 月既不解飲 影徒随我身
李白から人生を考えるのもいいが、余白から人生を考えるのも、また楽しからずや・・・である。

2010年9月27日月曜日

#108 名刀正宗とブランドと管理職
















「正宗」、それは、日本刀の歴史を語るとき必ず名前が出てくる。武士の時代であった鎌倉末期に、後世に語り継がれる芸術性の高い名刀を作った刀鍛冶であり、「名工正宗」と呼ばれ、その刀は「名刀正宗」と称された。後の大名の誰もがこの刀を所有することを願ったため、多くの贋作が作られたらしい。それは、正宗には無銘のものが多く、確実なものが少ないからである。それというのも、正宗は自分の作刀に絶対の自信を持っており、誰にもマネができるものではなく、銘を入れる必要もないと思っていたようである。

 あなたが戦国時代の一国の主であるとしよう。ここでもし、「正宗」のような誇り高い名刀一本と安い槍100本のどちらかを選べと言われたら、あなたはどちらを選択しますか。もちろん、今、その国の経済事情や対外事情がどうなのかによると思うが、まあ、一般的な話として考えていただきたい。つまり、高価なブランド品ひとつと、生活の必需品100個のどちらかをあげると言われたら、あなたはどちらを選択しますかという問題である。とすれば、あなたの嗜好傾向や心理状態にも左右されるだろう。

翻って、学校現場である。毎日の教育活動に教師の数は何人いてもこれで十分ということはない。文科省が35人学級にして教員増などと言っているが、学校現場としてはできることならもっともっと欲しいところだ。それほど、学校に求められる課題が多種多様を極めており、保護者が学校に求める要求も多様化している。しかし、それで事足りるかというとそうではなく、やはり、イザと言うときの名刀も必要であることは間違いない。管理職が名刀で、それで十分という場合もある。しかし、いつの時代もどこの現場であっても、管理職が名刀とは言い切れない場合もあるし、贋作もある。

 自分が鍛えた刀に銘を入れないと豪語するだけの名人がいるとすれば、その刀は相手が100人でも千人万人でも、一刀両断、その人の話に引き込まれるに違いない。確かに、そのような場面が、学校現場において一年のうちに一度や二度はある。その人が饒舌だったわけでも大声で威嚇したわけでもない。それにもかかわらず、そこにいる全員が、その人の姿を目で追い続け、口から出てくる言葉に聞き入ってしまうのだ。まさに名工名刀である。それは、その人の心に自分の心が揺さぶられ、心が共鳴するからだろう。私も昔、そのようになりたいと思ったことがある。そうなることができたらと夢見たこともある。しかし、所詮、凡人の夢物語である。諦めた私は、いつも記名する。

2010年9月26日日曜日

#107 秋田は黄金色!





























気温20℃のさわやかな青空、
その高い青空に浮かぶ白い雲、
地上では、
イネが実り、
頭を垂れ、
赤いコンバインが稲刈りをしている。
この時期に
空を舞う赤とんぼの群れが、
最近、あまり見かけないのが・・・・?
わずかに、
飛んでいる。
一匹、
そして、二匹がくっついて。

収穫の秋。
この季節、
秋田は黄金色である。