「奥州曙光」

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【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年10月22日金曜日

#128  野球と人生と龍馬伝  その3
















そして、
学校教育である。
それは相手が子どもだけに、
龍馬伝「いろは丸転覆」のようなイレギュラーが、
当たり前のような世界である。

また、
最近は保護者のイレギュラーも少なくない。

しかし、
一番困るのは、
教師の言動のイレギュラーである。
その後処理に管理職がどんなに苦慮しようとも、
その対応の是非によっては、
教育の継続すら危ぶまれるケースもある。

また、
大きな災害や大事件だけがイレギュラーではない。

小さな勘違いやちょっとした心のすれ違いが、
とんでもないトラブルになってしまう例は、

若いときの恋愛中に嫌と言うほど経験しているはずなのに。

そして、
それもこれも、
運だとか周りのせいなんかではないことを
十分わかっているのに。


何気ない日常生活にこそ危機感を、
と願わずにはいられない。

2010年10月21日木曜日

#127  野球と人生と龍馬伝 その2
















野球に限らず人生も同じであり、
龍馬伝「いろは丸転覆」のように、
いろいろなイレギュラーがある。

自分の無知や無能が招いたもの。
自分の判断ミス、不注意や不手際から生じたもの。
自分に非が無いにもかかわらず、外的な要因によって生じたもの。
家族や友人、仕事等の人間関係のトラブル。
自分の心やからだに起因するもの。
結果がわかっていながら、不用意に行動してしまったこと。
どう努力して避けようにも、避けがたいもの。

・・・人生とはイレギュラー対応そのものなのかもしれない。
   生きるということは危機対応の連続である。

   あなたは、
   どのようなイレギュラーを経験したことがありますか。

2010年10月20日水曜日

#126 野球と人生と龍馬伝 その1















人生には、龍馬伝「いろは丸転覆」のように、
予想のつかないことがたびたび起こる。
それは、
野球における打球のイレギュラー・バウンドのようなもので、
いつ、どのような状況で起こるか予測不可能である。

規則正しくバウンドしてきた打球が、
野手の目前でいきなりイレギュラーするとき、
その原因はグラウンドの整備不十分であったり、
自分のスパイクの跡であったりする。
そのイレギュラーしたボールの行方、
そして、
その処理が試合を左右することはよくある。

しかし、
打球がイレギュラーしたといって、試合をやり直すことはない。

もちろん、
その打球を顔面に受けて野手が負傷しても、ゲームは続行される。

もっとも、
それだからといって、
試合の勝敗をグラウンドのせいにする野球選手はいない。

2010年10月19日火曜日

#125 こんな時代に誰がした?
















 あなたは最近、褒められたことがありますか?では、怒られたことは?そして、叱られたことは?仕事上の上司と部下、学校の先生と生徒、さらに、家庭での親と子、飼い主とペットなど、どのような関係であっても「褒める」ってことは、とても大切である。みんなの前で「褒める」と、その効果はもっと高まる。さらにもっと効果を高めるのは、日頃、きちんと「叱る」ことである。しかし、近頃、「叱る」ことのできる人が少なくなって、「怒る」人ばかりになったという話を聞く。「叱る」のも「怒る」のも、同じような気がするが・・?「叱る」と「怒る」はどう違うのだろうか。


 広辞苑ではこう説明している。「怒る」は、いかる、腹を立てること。「叱る」は、とがめ戒めること。さらに「戒める」は教え諭す、過ちのないように注意する、用心させる。つまり、「人を叱る」というのは、感情の赴くままに怒りを爆発させることではなく、事の善悪を相手にしっかりと教え諭し、今後、同じような過ちを繰り返さないように、日常生活のおいて用心できるように冷静に指導することである。間違っても、腹立たしい感情をただひたすら相手にぶつけることではない。


 あの横綱白鵬が大関時代に、右ひざを痛めて、理由も言わずに朝稽古を続けて休んだことがあった。そのとき、「荷物をまとめてモンゴルに帰れ」と、育ての親の熊ケ谷親方からひどく怒られ、厳しく相撲道を諭されたようだ。そのときのことを白鵬は、「人を叱るのはエネルギーが要る行為だ」と、今も感謝を忘れないという。「怒る」と「叱る」の両方を兼ね備えた親方には、弟子に対する愛情も指導力があり、指導される側の白鵬との信頼関係がしっかりできているためであろう。


 「叱る」ためには、相手に対する愛情と確固たる価値観・人生観が必要であり、さらに、怒りに流されないような心の余裕が必要である。そして、その場で短く、自分の言葉で、理由を示しながら、行動そのものを叱ることである。怒りの感情を爆発させただけでは、人の顔色を伺って行動するようになってしまう。また、「何をやってもダメだな」などと、行動そのものではなく人格を否定しては、萎縮しやる気が失われてしまう。さらに、「○○部長にも怒ってもらうからね」などと自分以外の権威を使って叱るのは、自分の信用や相手との信頼関係までなくしてしまう。もっと言うならば、正論をくどくど言い続ける長い説教は愚の骨頂で、言っていることが正しいだけに、相手は逃げ道を失って反抗的になりかねない危険がある。叱り方にも品位が必要である。


 相手の人間性を高めたいと思ったなら、人間味溢れる指導が必要だという当たり前の話である。しかし、今は、その当たり前が難しい時代、当たり前が当たり前でなくなる時代である。その時代の嵐は、庶民の生活から政治・経済・司法まで飲み込もうとしている。「♪こんな時代に誰がした~♪」などと、のんきに歌ってはいられない。

2010年10月18日月曜日

#124 止まない雨はない!
















おはよがんす、
まめでらしか~?

朝方の最低気温が、
ついに10℃以下、8℃代に下がった。
肌寒さを感じる朝。
それでも、
雨上がりの空はさわやかに晴れて、
気持ちのいい週明けを迎えた。


空のほとんどが曇っていても、
太陽のとこだけ雲が切れてたら、
晴れたなって思う。

反対に、
空のほとんど晴れてても、
太陽がちょっと隠れただけで曇ったって思う。
そう感じただけでは、実は本当ではない。

しかし、
そのことに気づかなければ、本当と同じ。
愛し合っている男女が、
このことに気づかないままに、
別れを選択したとしたら、
それは大変不幸なことだ。

また、
愛を装っている男女が、
このことに気づかないままに、
毎日を送っているとしたら、
それはそれでいいんじゃない。


素敵な夫婦は、
どんな雨風も、
いずれ止むことを知っており、
晴れていても、
雨具の用意を怠らない。

今週も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
頑張りましょう!