「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年8月28日土曜日

#90 いつか きっと!
















春に 春の花咲く
夏に 夏の花咲く

私は いつ咲くの?
私の季節は いつ?
私の季節って あったっけ?

朝に咲く アサガオ
昼に咲く ヒルガオ
夕に咲く ユウガオ

私は いつ咲くの?
私の時間は いつ?
私の時間って あったっけ?

太陽に向かって咲く ヒマワリ
太陽に隠れて咲く スズラン

私は 何処を向いて咲くの?
私の 向きはどっち?
私の向きって あったっけ?


秋に 秋の花咲く
冬に 冬の花咲く

季節を行き交い
時間を追いやりながら
行き先は風向きしだい

それでも
いつかきっと
このつぼみが咲く瞬間が訪れる
それを信じて
今日も
   笑顔いっぱい
          元気いっぱい
                夢いっぱい
                     頑張ろう!

2010年8月27日金曜日

#89 あかりを信じて!
















蒸し暑く寝苦しい夜、
ようやく眠くなって電気を消した。
一瞬、何も見えなくなる。
しかし、
数分するとうっすらと周りが見えてくる。

月あかり・・・?
星あかり・・・?
いや、
街灯のあかりが
ほのかに視界を浮かびあがらせるのだろう。

そんななんでもない日常から、
夜でもないのに
いきなり暗闇の中に突き落とされる瞬間がある。
そんな周りが見えないような暗闇では、
ほんの少しのあかりでも舞い上がるほど嬉しい。

その闇が深ければ深いほど、
その闇にいる時間が長ければ長いほど、
なおさら、嬉しさは感動になる。

振り向いた笑顔が懐かしく、
何気なくかけられた言葉が嬉しく、
ほんの少しのあかりにも大きく心が揺さぶられる。

しかし、
いつ、誰が、どんな闇に落ちているかは誰もわからない。
いつ、何処で、どんな闇に落ちてしまうかは誰もわからない。
もしかすると、
こういう私自身が、今、闇の中にいるのかも知れない。

それでも、
必ずあかりを見つけることができると、そう信じている。
だから今日も、
あかりが見つかるように
  笑顔いっぱい
       元気いっぱい
            夢いっぱい
                頑張ろう! 

2010年8月24日火曜日

#88 伝えることの難しさ

















昨日の仕事帰り、
進行方向の正面の夕日が、
あまりにもまぶしく綺麗だったので撮ってみた。
自分で感じた美しさの十分の一も
写真に撮り切れていない。
悔しい!
それは
ただシャッターを押しただけという技術の低さのため
それは
アングルも考えない場所選びのまずさのため
それは
構図なんかろくに意識しないまま、
撮ることだけに夢中な素人写真のアナにはまったため
それにしても
夕日は美しかった!
それにしては
写真は難しかった!
写真にしろ文章にしろ言葉にしろ、
自分が感じたことをどう表現してどう伝えるか、
本当に難しい。
相手に伝えられるのは、
自分が伝えたいことの何分の一なのだろう。
私は
燃える6000℃の太陽を撮影したつもりだが、
実際に写真に写っているのは、
見ての通り600℃くらいの夕日である。
しかし、
私から見ると600℃くらいだが、
他の人から見たら60℃にしか見えないかも知れない。
私は
これまでの人生において、、
いろいろな場面で
多くの人にいろいろなことを伝えてきた・・・・つもりであった。
しかし、
私の思っていることの10%しか表現できず、
さらに
相手には1%しか伝わっていなかった・・・・・のだろうか。
ショック!
でも、
銀行利息よりは高い。
そう思ったら元気が出てきた!
今日も
    笑顔いっぱい
            元気いっぱい
                    夢いっぱい
                          頑張ろう!

2010年8月23日月曜日

#87 あなたの対応力は・・・?

















 時間の経つのも忘れ、夢中で仕事にのめり込んだ時代がある。若い頃のことである。夢いっぱいの子どもたちを教え導く教育という仕事は、ここまでやれば完璧というゴールがない。それが理科の実験準備となれば、なおさらである。自分が実験しても満足のいく結果が得られないような実験を、子どもたちに示すわけにはいかない。予備実験を繰り返す中で、実験装置に不満が出てくる。だったら、「装置を作ってしまおう」という気持ちになる。しかし、必要な材料や道具が手元にない。結局、あちこちのホームセンターを捜し回る。そんなこんなで、その時には装置が完成できず、3年後にピッタリの部品を偶然に新潟のデパートで見つけ、やっと完成したということもあった。

 教師はみな、自分なりの課題を抱えながら子どもと向き合っている。熱心な教師であればあるほど、このような課題を常に3つ4つ抱えているものである。そして、ちょっとした子どもの反応や読みかけの本などからヒントが見つかったり、家での食事中や車の運転中に偶然に思いついたりする。また時には、同僚の話から解決策が浮かんだり、あの偉大な科学者のように入浴中に閃くこともある。一人で課題を抱え込んではいけないが、常に意識していることは必要なことである。

 昔、「カレーライス」でまとめようという計画で授業した。ところが、子どもの発言から豚肉とジャガイモやタマネギ、ニンジンなどの野菜はあがったが、カレー粉が出てこない。しかたがないので「豚汁」にしてしまったことがある。どうやって、子どもの声でカレー粉を出させるか分からなかったし、強引にカレー粉を付け加えることもできなかった若い教師時代である。今ならできると言っても、その今は、もうあの時の子どもたちにはなく、そもそも、あの時の子どもたちはもう子どもではない。

 高速化、電子化が進み変化の激しい時代である。そのため、現実はいつも自分の世界だけに浸ってはいられない。予期しない出来事、予想を越える事態に直面して、急な対応や新たな対応を迫られることが多い。だとすれば、どんなことに対しても笑顔で対応できる、余裕というものが必要だろう。しかし、自分の対応力を出し切った100%対応が続いていたのでは、やがて自分が潰れてしまう。そうならないために、否が応でも自分の対応力を向上させるしか道はない。あなたの対応力は、私みたいにアップアップしていませんか?そんなことはない、今も確実にグングン上昇中・・・・・ですよね!