「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年9月25日土曜日

#106 十八夜の月
















太平山の上に、
昇ってくる月を妻が見つけた。

病室の窓から。

雨上がりの大気は澄んでおり、
稲の刈り取りが行われた
田んぼを照らす月の光が眩しい。

今日は十八夜だが、
十分に丸く感じる。
しかし、
そのわずかな歪みが悲しそうで、
街灯と一緒に、
フレームにおさめた。

2010年9月24日金曜日

#105 夢物語
















子供を4人育て、
長男は地元秋田、
長女は北海道、
次女は京都で暮らし、
次男はオーストラリアに永住。

そして、
退職して暇をもてあます年齢になったら、
夫婦二人で四季によって生活拠点を変える。
四季移住である。

春はベースキャンプの秋田、
夏は涼しい北海道で大自然を満喫する。
秋は京都で仏像巡りを楽しみ、
冬には暖かい南半球のオーストラリアで暮らす。




・・・・・・なぁ~んて、考えたこともあったが、
      子供は二人。所詮、夢物語であった。


叶えられなかった夢を物語にしながら、
今日も
  笑顔いっぱい、
    元気いっぱい、
      夢いっぱい、
       頑張りましょう!

2010年9月22日水曜日

#104 突然の一人暮らし
















子どもたちが巣立った後、
夫婦二人で生活をしていたが、
一昨日、突然、連れ合いが入院した。

夜、ご飯の支度をして食べた。
「美味しい」「少ししょっぱい」などと言う人がいない。
テレビを見ていても、
顔を見合わせて頷き合う相手がいない。
天候が変わっても、
「雨が降ってきた」などと話す相手がいない。
眠くなっても、
「そろそろ寝ようか」などと語りかけることができない。
朝起きても、
「おはよう」と挨拶できない。
仕事に出かける準備をしていても、
「忘れ物は?」と声をかける人がいない。

よく、一人暮らしは気楽でいいと言う。
しかし、
天気や仕事など、家庭外のことから、
起きる、眠る、食べるなどの家庭内の生活まで、
慣れないせいもあるだろうが、
一人ではどうも味気ない。

まだ、
始まったばかりだが、
私がそうであるように、
向こうも同じだろう。
ましてや、
慣れない病室暮らし。
どんなに寂しかろう。
しかし、
そんなことはおくびにも出さず、
けなげに笑っている。

朝に夕に、
病院に顔を出す。
「どうだった?」
「眠れたか?」
「あれ、持ってきて」
何ってことのない会話だが、
それでも、
お互いに唯一の楽しみ。

それでも
  笑顔いっぱい、
    元気いっぱい、 
      夢いっぱい
        頑張りましょう!

2010年9月21日火曜日

#103 男になる
















人は男に生まれてくるのではない。
男になるのだ。



人生のところどころに
そのための試金石が置かれている。


腕白時代のそれは、
メンコや竹馬だったり、
ケンカだったり、
あるいは、
鉄橋渡りであったりする。

青年期の山登りやギター、エレキ、バイクなども、
その試金石であったに違いないと思う。

今流に考えると、
少年時代のゲーム、
青年期のラップやボードなども、
その一つではないかという気がする。

その時期には、
胸が焦がれるくらいに、
そのこと自体が夢であり目的であった。
しかし、
数十年後に振り返ると、
それは、
男になるための通過点に過ぎなかったと思う。

男の目的ではないが、
男になるための通過点ではある。
すべてを通過する必要はないが、
恋いこがれた時期は、
全てを忘れるほど取り付かれてしまう。

しかし、
気をつけなければならないことがある。
法を犯すほどに、
魔力に取り付かれてしまっては、男になれない。
法律も仕事も投げ出してしまうのを、男と言わない。

日本男児は、
そのへんのケジメをつけることができる、
かっこいい男であってほしい。

2010年9月20日月曜日

#102 秋空に紙飛行機!
















 教室の窓に並んだ子どもたちが、秋空に向け一斉に紙飛行機を飛ばす。宙に投げられた紙飛行機は、それぞれに軌跡を描く。あるものは上昇気流をとらえて高く舞い上がり、あるものは螺旋状に回りながら地上をめざす。また、あるものは途中の樹木の枝に引っかかり、あるものは互いにぶつかりあって急降下する。

 ドラマのワンシーンであれば、それもいい。しかし、現実の学校での出来事ならそうはいかない。私は今、過去に実際に起きた悲劇を思い出している。それは、たった1機の紙飛行機が、窓の外に飛ばされたことから始まった。それをきっかけに、毎日のように教室の窓の下には、たくさんの紙飛行機が舞い散るようになった。そしてそれは、学級崩壊のスタートであり、校内暴力の嵐が吹き荒れる前ぶれであった。

学習や部活動、生徒会活動など何でもいいけれども、学校生活の中に喜びや楽しさを見つけ生き生きと取り組んでいる子どもは、多少のストレスにも打ち勝つ力を持っている。しかし、現実には、学校の教育活動のどれもが嫌になるほどストレスを抱えている子どももいる。彼らは束縛を嫌い、自分勝手に振る舞うことが自由だと錯覚する。そして、自分で押さえきれないほどのストレスからの開放を願い、紙飛行機を大空に飛ばす。紙飛行機が重力に耐えかねて地上に到達するまでの、短い時間の限られた自由だと知りつつ。

 ある時、校長室の窓の外を紙飛行機が飛んだ。驚いた校長がすぐ全職員に、その紙飛行機を飛ばした子どもを連れてくるように指示した。やがて、三人の子どもが学級担任に連れられて恐る恐る校長室に入った。しかし、校長は満面の笑みを浮かべながら両手を広げて迎え入れ、まだ封を切っていない模型飛行機製作キッドを手渡してこう言った。「紙飛行機に興味があるなら、ちょうどいい。どうせなら、紙飛行機よりも、この模型飛行機を作ってきなさい。」3週間後の全校集会、この3人の子どもたちは体育館のステージから製作した模型飛行機を飛ばし、全校生徒の喝采をあびた。こうして、この3人の子どもたちのストレスが解消し、教職員の危惧も吹っ飛び、学校は教育崩壊を免れた。それにしても、何故、まるでこのようなシナリオを予測していたかのように、模型飛行機製作キッドが校長室にあったのだろうか。今も謎である。