「奥州曙光」

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【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2011年4月12日火曜日

#251 子どもたちの笑顔の裏側に!












おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は気温5.3℃、北の風、風速 4.0m/s、
湿度52%、気圧 1015.6hPa、快晴の朝を迎えました。


題名:「三陸海岸大津波」

昭和45年に作家の吉村昭さんが書いた記録集です。
今度の東日本大震災の直後に、
なじみの本屋さんに注文したところ、
昨日、やっと手元に届きました。
折しも、ちょうど大震災一ヶ月目でした。

その本の中に、
昭和8年の大津波に被災した
尋常小学校の子どもの作文が載っています。
そのひとつを紹介します。


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大きなじしんがゆれたので、
着物を着たりおびをしめたりしてから、
おじいさんと外へ出て川へ行って見ました。

その時はまだ川の水はひけませんから、
着物を着てねました。
そうしておっかなくしていると、
外でつなみだとさわぎました。

私は、ぶるぶるふるえて外に出ましたら、
おじいさんが私を背負って山へ走りました。

山でつなみを見ました。
白いけむりのようで、おっかない音がきこえました。
火事もあって、みんながきました。

夜があけてから見ましたら、
家もみんなこわれ友だちも死んでいたのです。
私もなきました。

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これは昭和8年のことですが、
季節は、
今回の東日本大震災と同じ、冬の3月でした。

大きな地震の30分後、
その大津波が押し寄せたといいます。
そのため、
冬の夜の寒さに耐えきれず、
地震のあとで布団に入って眠ってしまったり、
逃げ遅れた者が多かったと記録されています。

およそ80年前の出来事ですが、
地震や津波に対する驚異は、今と同じであったと思われます。

今回の大震災でも、
多くの子どもたちが大津波の恐怖を体験しました。
日中の出来事であっただけに、
その時の記憶は鮮明です。
地獄のような光景を思い出すときもあるのでしょう。
ふさぎ込んだりしていないか心配です。


無理に聞き出したり、
問いただしたりしないで、
まるで氷が溶けるように、
自然に自分から話すように、
自分から日記や作文などに記すように、
そばに寄り添ってあげることが大事です。
寄り添う人が必要です。
もちろん、物資の救援も必要ですが、
これからは、
そういった子どもたちへの心の救援が必要です。
子どもたちの笑顔の裏側にも、
必ず光があたる日が来ることを信じます。

がんばろう日本!
がんばろう東北!
がんばろう子どもたち!


さあ今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

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