「奥州曙光」

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2010年9月11日土曜日

#97 恋の病と中学生 その2

















さて、昨日の話の続きです。

「私は大丈夫」などと油断してはなりません。
恋の病には誰でもかかります。
若者も年寄りも、
大統領も王族も、
スポーツ選手も芸能人もかかります。
病気が進めば、
わが身を滅ぼし、
他の人を不幸にします。
歴史物語や、
新聞・テレビで見て、
キミたちも知っているはずです。

恋の病は、
お医者様でも草津の湯でも治りません。
だから予防が第一です。

昔の人たちが、
予防薬として考え出したのは「我慢」です。
例えば、
「家庭をつくり、子を育てる条件の整わぬ恋は我慢する」とか、
「親や子や、家族や周りの人を泣かせる恋は我慢する」とか、
「共に白髪の百歳までも、添い遂げる覚悟のない恋は我慢する」などです。

この「我慢」の鉄則守って、
身も心も燃えるほどに激しい恋を諦めた悲しい物語は、
昔も今もたくさんあります。
百、千の恋をしたとしても、
結ばれる恋はただ一つです。
「我慢」の試練を乗り越えてこそ、
時が至れば、
幸せな恋が訪れます。
「我慢」の習慣の無い人は、
必ず、
不純交友やストーカーに走ります。
大人になってからも、
離婚や、不倫や、犯罪行為で家庭を壊し、
子供を泣かせます。

だから、
好きな人と出会っても、
すぐにラブレターを書いたり、
「あなたが好き」と言ったり、
手を握ったりしてはなりません。

まず我慢しなさい。

これが中学生の男女交際のコツです。

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詳しくは、こちらをクリックしてください。
http://www.e-asu.com/koujin/newfile/kanako10/kanako10.html

2010年9月10日金曜日

#96 恋の病と中学生 その1
















秋田は、久しぶりに肌寒い朝が戻ってきました。
これでやっと秋になれるかも・・・?
さて、このたび、
大先輩の船越準蔵先生がまたまた本を出版されました。
可奈子への手紙シリーズの10冊目で、
「助け合う魂を心に吹き込む」(公人の友社)という題名です。
その本の中に、こんな話がありましたので紹介します。

中学校2年の学年集会でのある先生の講話です。

地上に命が満ちあふれ、
助け合い、補い合って生きるようにと、
神様は人間に男と女をつくられました。
そして、
男には女を好きになる薬を、
女には男を好きになる薬を、
一服ずつ盛ってくださいました。
何しろ生まれてくる人間の数が多くて忙しいものですから、
薬の量はきわめて大ざっぱで、
多く盛られた人もいれば、少ししか盛られない人もいます。
中には気の毒に、
反対の薬を盛られた人もいるくらいです。(笑)

ですから、この薬の効き目の現れ方は、
人によってマチマチです。
幼稚園の頃から異性とばかり遊びたがる子もいれば、
二十歳過ぎても異性に関心がなくて、
親をやきもきさせる子もいます。
しかし、
ほとんどの人は中学2年生ごろになれば薬が効いてきて、
異性を強く意識するようになります。
そして、心のずっと奥の方で、
自分にとって好ましい異性を探し求めるようになります。
この、異性を求める感情は、甘く切なく、強く激しく、
ときには分別さえも失わせます。
それが原因で、道を誤り、人と争い。
家庭や国を危うくした者さえいます。
キミたちは今、その危険な年齢になったのです。

                  (続く)

2010年9月6日月曜日

#95 逃さず 流さず 怖じけずに
















 若い頃の私は、勝手気ままで我がままな困った子どもであったらしい。そのため、母親からはうるさいくらいに細かなことまで、毎日毎日、日課のように注意された。そして、月一の割合で父親の雷が落ちた。しかし、誰に聞いても同じで、私だけがそうであったのではなく、あの時代の誰もがそうであったようである。しかし、これは私だけのことだが、あるとき、窓も電気もない味噌蔵に閉じこめられた。暗くて怖いのと臭いがきついことから、二度とやらないと誓ったが、いったい何をしでかしたのかは記憶にない。

 毎日注意する母親と、月一雷の父親。今考えてみると、絶妙の夫婦連携である。これが、週一の注意と年一の雷程度であったなら、今の私はない。私が曲がりなりにも成長し、義務教育を終え、高校・大学を卒業し、職を得て、その職を定年まで全うすることができたのは、そのおかげである。「瓜食めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲はゆ 」と言うけれども、最近、やっとその親心の真意が分かるようになってきた気がする。しかし、私の両親はともに、すでにこの世の人ではない。

 学校で子どもたちに向かい合うとき、教育はいつでも真剣勝負である。授業であれ、休憩時間であれ、部活動であれ、学校生活の中で子どもたちが見せる言動の中には、ここだという瞬間がある。ここを逃してはいけない瞬間がある。その指導支援の瞬間を見逃したり聞き流したのでは教育にならない。「まあ、いいか」と流してしまっったり、「私が言わなくても」と尻込みしていては、教育にならない。その瞬間に「まあ、いいか」と流したり妥協したりすることは、子どもが伸びる機会、高まる機会を教師自身がつぶしてしまうことになる。ましてや、「誰かが言うだろう」と思ったとすれば、それは、自分が教育者であることを否定することになる。

 誰かが答えを間違ったとき、「クスッ」という笑い声が聞こえた。正論を述べた友だちを、周囲が冷ややかな目で見つめた。授業中に前席の友だちの背中に、張り紙のイタズラをした。放課後の教室で、張り紙の破れを一人繕っている姿があった。・・・その瞬間を「逃さず 流さず 怖じけずに」、子どもたちを正しく導くことができるかどうか、教師の真価が問われる場面でもある。また、この瞬間にどう対応するかによって、子どもたちは教師の人間性を見極める。母親みたいに、口やかましい教師がいる。父親のように、まとめて雷を落とす教師もいる。どちらも学校に必要な教師である。しかし、その瞬間を見ていながら、逃す教師、流す教師、怖じ気づく教師はいらない。