「奥州曙光」

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【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年9月6日月曜日

#95 逃さず 流さず 怖じけずに
















 若い頃の私は、勝手気ままで我がままな困った子どもであったらしい。そのため、母親からはうるさいくらいに細かなことまで、毎日毎日、日課のように注意された。そして、月一の割合で父親の雷が落ちた。しかし、誰に聞いても同じで、私だけがそうであったのではなく、あの時代の誰もがそうであったようである。しかし、これは私だけのことだが、あるとき、窓も電気もない味噌蔵に閉じこめられた。暗くて怖いのと臭いがきついことから、二度とやらないと誓ったが、いったい何をしでかしたのかは記憶にない。

 毎日注意する母親と、月一雷の父親。今考えてみると、絶妙の夫婦連携である。これが、週一の注意と年一の雷程度であったなら、今の私はない。私が曲がりなりにも成長し、義務教育を終え、高校・大学を卒業し、職を得て、その職を定年まで全うすることができたのは、そのおかげである。「瓜食めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲はゆ 」と言うけれども、最近、やっとその親心の真意が分かるようになってきた気がする。しかし、私の両親はともに、すでにこの世の人ではない。

 学校で子どもたちに向かい合うとき、教育はいつでも真剣勝負である。授業であれ、休憩時間であれ、部活動であれ、学校生活の中で子どもたちが見せる言動の中には、ここだという瞬間がある。ここを逃してはいけない瞬間がある。その指導支援の瞬間を見逃したり聞き流したのでは教育にならない。「まあ、いいか」と流してしまっったり、「私が言わなくても」と尻込みしていては、教育にならない。その瞬間に「まあ、いいか」と流したり妥協したりすることは、子どもが伸びる機会、高まる機会を教師自身がつぶしてしまうことになる。ましてや、「誰かが言うだろう」と思ったとすれば、それは、自分が教育者であることを否定することになる。

 誰かが答えを間違ったとき、「クスッ」という笑い声が聞こえた。正論を述べた友だちを、周囲が冷ややかな目で見つめた。授業中に前席の友だちの背中に、張り紙のイタズラをした。放課後の教室で、張り紙の破れを一人繕っている姿があった。・・・その瞬間を「逃さず 流さず 怖じけずに」、子どもたちを正しく導くことができるかどうか、教師の真価が問われる場面でもある。また、この瞬間にどう対応するかによって、子どもたちは教師の人間性を見極める。母親みたいに、口やかましい教師がいる。父親のように、まとめて雷を落とす教師もいる。どちらも学校に必要な教師である。しかし、その瞬間を見ていながら、逃す教師、流す教師、怖じ気づく教師はいらない。

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