「奥州曙光」

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2010年9月27日月曜日

#108 名刀正宗とブランドと管理職
















「正宗」、それは、日本刀の歴史を語るとき必ず名前が出てくる。武士の時代であった鎌倉末期に、後世に語り継がれる芸術性の高い名刀を作った刀鍛冶であり、「名工正宗」と呼ばれ、その刀は「名刀正宗」と称された。後の大名の誰もがこの刀を所有することを願ったため、多くの贋作が作られたらしい。それは、正宗には無銘のものが多く、確実なものが少ないからである。それというのも、正宗は自分の作刀に絶対の自信を持っており、誰にもマネができるものではなく、銘を入れる必要もないと思っていたようである。

 あなたが戦国時代の一国の主であるとしよう。ここでもし、「正宗」のような誇り高い名刀一本と安い槍100本のどちらかを選べと言われたら、あなたはどちらを選択しますか。もちろん、今、その国の経済事情や対外事情がどうなのかによると思うが、まあ、一般的な話として考えていただきたい。つまり、高価なブランド品ひとつと、生活の必需品100個のどちらかをあげると言われたら、あなたはどちらを選択しますかという問題である。とすれば、あなたの嗜好傾向や心理状態にも左右されるだろう。

翻って、学校現場である。毎日の教育活動に教師の数は何人いてもこれで十分ということはない。文科省が35人学級にして教員増などと言っているが、学校現場としてはできることならもっともっと欲しいところだ。それほど、学校に求められる課題が多種多様を極めており、保護者が学校に求める要求も多様化している。しかし、それで事足りるかというとそうではなく、やはり、イザと言うときの名刀も必要であることは間違いない。管理職が名刀で、それで十分という場合もある。しかし、いつの時代もどこの現場であっても、管理職が名刀とは言い切れない場合もあるし、贋作もある。

 自分が鍛えた刀に銘を入れないと豪語するだけの名人がいるとすれば、その刀は相手が100人でも千人万人でも、一刀両断、その人の話に引き込まれるに違いない。確かに、そのような場面が、学校現場において一年のうちに一度や二度はある。その人が饒舌だったわけでも大声で威嚇したわけでもない。それにもかかわらず、そこにいる全員が、その人の姿を目で追い続け、口から出てくる言葉に聞き入ってしまうのだ。まさに名工名刀である。それは、その人の心に自分の心が揺さぶられ、心が共鳴するからだろう。私も昔、そのようになりたいと思ったことがある。そうなることができたらと夢見たこともある。しかし、所詮、凡人の夢物語である。諦めた私は、いつも記名する。

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