「奥州曙光」

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【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年9月13日月曜日

#98 つぎあてのない靴下















 男の子のズボンは、誰もみな、お尻と膝のところにつぎあてがあった時代がある。野山を駆けまわり転げまわり、一番先に穴が空くのはズボンのお尻と膝小僧であった。だからと言って、おいそれと新しいズボンを買う余裕は、どこの家にもなかった。ましてや、育ち盛りの5人の兄姉がいる末っ子の私、新品のズボンを持っているわけがない。当然のように、靴下にもまた、いくつかのつぎあては当たり前であった。

 ある冬の朝、何を思ったのか、「こんな靴下なんか、イヤだ」と駄々をこねた。靴下のかがとに穴が空き、前の晩に母親が他の布をつぎあてしてくれた靴下であった。見かねた父親が、自分の履いている靴下を差し出した。それを横目に見ながら、私は裸足に長靴を履いて、雪の中、学校に走った。次の朝、私の枕元に真新しい靴下が置いてあった。それを履いて喜々として朝食の飯台に坐るとき、父親の足に昨日の私の靴下がチラッと見えた。母親も父親も何も言わなかったが、涙がとまらなかった。

親には親の言い分があるが、子どもには子どもの言い分もある。お互いに、それを真正面からぶつけ合ってばかりいたのでは心がすれ違うばかりである。反対に、お互いに、言いたいことも言えないような環境では、どちらも心が荒んでしまう。大人は大人の言い分を押し切る強さを持っているが、子どもにとっては、子どもの言い分を聞いてくれる相手が必要である。「聞いてくれない」ときの孤独感は、「理解してくれない」ときの悲壮感よりも子どもの心を惨めにする。

 何も言わない両親が行動で示してくれた親心が、我が儘いっぱいであった私の胸に、「我が儘もほどほどに」という自制心を植え付けてくれた出来事であった。諭されるよりも、怒鳴られるよりも、味噌蔵に閉じこめられるよりも、強烈なアッパーカットであった。当時の靴下一足の値段がどのくらいであったのか、その金を両親がどうやって工面したか、その日に両親がどのような話し合いをしたか、そのために私の家族が何を犠牲にしたか、私は分からない。また、今となっては、聞く術もない。しかし、この両親に育てられた私は、本当に幸せ者である。そのことだけは分かるつもりだ。それなのに、このような子どもの気持ちを察するという子育ての極意を身をもって教えられながら、私は自分の子どもの子育てにどれだけ生かすことができただろうか。また、長いこと子どもの教育という仕事に携わりながら、多くの保護者にその極意を伝える努力をどれだけしてきただろうか。自問するばかりである。

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