「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年4月28日水曜日

#9 初めての○○

 我が家に初めてテレビが来たのは、昭和30年代の終わり、東京オリンピックが開催された年である。当時も今も、日本中の家庭を金持ちと貧乏に二分すると、我が家は間違いなく後者。だからもちろん、テレビは新品ではなく、親戚の家で使っていた中古を譲り受けたものである。でも、そのテレビは、私にとっては「いつものテレビ」であった。なぜなら、私はその家に毎晩通って、その家の主人とチャンネル争いをしながら見ていたからである。それでも、自分の家でテレビが見られる喜びは格別で、毎日、学校が終わると家に飛んで帰った記憶がある。

初めてというのは、何といってもやはり嬉しさも格別である。初めて我が家に来た洗濯機は手回し洗濯機であった。しかし、それでも十分に、母親が洗濯板を手放すきっかけとなった。そして、初めて我が家に来た冷蔵庫、それはリンゴ箱2つ分くらいの大きさの箱で、中に氷を入れて冷やすものであった。それでも、土中に造ったムロよりも、数倍も使い勝手の良いものであった。父親の名誉のために付け加えるが、やがて新品テレビ、電気洗濯機や電気冷蔵庫も、ほどなく我が家にやって来た。梱包してあるダンボールから取り出すとき、父親は誰にも手伝わせず一人で大事そうに作業していた。

「心の師となることを願って、心を師としてはならない」・・・ありがたい仏教の教えである。しかし、青春というのはそんなこともお構いなしで、心の赴くままに、初体験が盛りだくさんの時代である。初めてのデート。初めてのキス。初めてのパチンコ。初めてのタバコ。初めての川反。初めての悪酔い。初めての代返。初めてのバイト。初めての旅行。初めての勤務校。初めての授業。初めての研究授業。初めてのPTA学級懇談。監督として初めての対外試合、初勝利。初めての自炊。初めてのオコゲ。初めての給料。初めてのボーナス・・・・みんな、遠い昔の記憶なのが悔しい。幸い、一つだけ経験していない初めてが残っているが、それはもう少し先らしい。

 さて、そろそろまとめようと思う。いろんな初めてがあり、それぞれに喜びや嬉しさがある。しかし、どんな初めてにも勝る初めてがある。それは、初めて我が子を抱きあげたときの感激である。あのとき、小さな手と足の指をひとつひとつ数えながら、おそるおそる抱き上げた感動と感触は忘れられない。新しい生命の誕生、しかも、我が子である。これ以上の喜びはない。いずれ、やんちゃな小学生、反抗期の中学生になるにしても、神の祝福を受けたような奇跡的な生命誕生の瞬間が、どの子どもにもあったことは確実である。どの子の教育もあたらおろそかにできない最大の理由が、ここにある。

0 件のコメント:

コメントを投稿