「奥州曙光」

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2012年4月18日水曜日

#480 全国学力テスト、初めての理科!







































おはようございます。

秋田は気温11.6℃、西の風、風速2.1m/s、
湿度62%、気圧1021.4hPa、曇り空の朝を迎えました。
日中は14℃の予報です。

昨日は小・中学校で全国学力テストが行われました。

今年は、初めて理科も実施されましたが、
すべての設問で実験や観察のイラストを多く使用するとともに、
サクラの開花の観察や、
白熱電球とLED電球の省エネ効果など、
身近なものを題材とするなど工夫されていたと思います。

全体的に国際的な学力調査を意識して、
説明文とイラストやグラフなどから総合的に状況を把握し、
論理的に判断する力を問う構成になっています。

文章を正しく読み取る力、
複数のイラストの相違点を見極める力、
グラフと写真を見比べながら判断する力、
自然現象の観察経験と科学的な知識を結びつける力、
そのようなことが求められています。

その判断のもとになるのは、
やはり科学的知識なのですが、
このテストで求めているのは、
科学の力そのものよりも、
論理的な思考力と判断力なのかもしれません。

さあ今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

*
**
***

2011年11月10日木曜日

#385 あなたのメンターは・・・?


































おはようございます。

秋田は気温6.4℃、
東南東の風、風速2.5m/s、
湿度83%、気圧1020.9hPa、
曇りの朝を迎えました。
綿みたいな大きな雲が、
ちぎれたり重なったりしながら
ゆっくりと飛んで行きます。
日中の予想最高気温は15℃、
ストーブが必要な一日です。


さて、今日はメンターについてです。
気の向かない方はスルーしてください。



「あなたには、メンターと呼べる人がいますか?」
「あなたのメンターは誰ですか?」
書き出しから突然の質問に「メンクラッター」という人も多いと思いますが、
おやじギャグに引いたりしないで最後までおつきあいください。
メンター(Mentor)という言葉は、
人生経験の豊富な人、指導者、助言者、教育者、恩師とも訳されていて、
仕事やキャリアのお手本となり活動全般を支援してくれる人のことです。



トロイア戦争後のオデェッセウス王の流浪を歌った
ホメロスの叙述詩『オデュッセイア』の中に、
メントールという賢者が登場します。
そのメントールこそ、
オデェッセウス王に息子テレマコスの教育を託され、
良き指導者、良き理解者、良き支援者としての役割を果たし
帝王学を教えた人物です。
その由来に基づき、
このような指導者を英語ではメンターと呼ぶようになったということです。



10年も20年も学校教育に携わっていると、
いろいろな活動実績をあげ指導力も向上します。
しかし、そのような成功体験が続くと、
周囲の反応は賞賛、喝采、共感、賛同など肯定的ものばかりで、
あえて苦言を呈してくれる人がいなくなってしまいます。
本人としては反応がいいので安心するものの、
内心は「本当のところはどうなのか?」という不安もあるものです。
しかし、誰もそこに踏み込んできてくれません。
ましてや上司であったり、指導的立場であったりすればなおさらです。
自信満々と疑心暗鬼とは、紙の裏表のように共存するものなのでしょう。



あなたが管理職や経営者、もしくは指導的立場にいるとしたら、
裸の王様かも知れないという疑心暗鬼のままでは、
いい仕事はできないし、夜も心安らかに眠ることができないでしょう。
そんなときこそ、
耳の痛いこともストレートに言ってくれるメンターの存在が必要です。
人間性というのは私たちが思っている以上に脆いもので、
いったんほころぶと雪崩のように崩れていきます。
今まで上手くいっていたことが、上手くいかなくなったり、
大切な人が離れていってしまったりしかねません。
どんな立場になっても、
褒められることと叱られることの両方が必要です。
もちろん、
ダイヤはダイヤでしか磨けません。
ダイヤのあなたを磨くメンターは、
ダイヤモンドのような人生の師匠でなければならないのです。

もう一度、問います。
「あなたには、メンターと呼べる人がいますか?」
「あなたのメンターは誰ですか?」



さあ今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!


*
**
***


2011年11月4日金曜日

#381 あなたはプロですか?





























おはようございます。

秋田は気温8.0℃、東南東の風、風速3.3m/s、
湿度97%、気圧1030.6hPa、濃霧の朝を迎えました。
日中の予想最高気温は18℃、秋晴れの一日になりそうです。


東京から大阪まで行くとき、
または、大阪から東京に行くとき、
あなたはどんな交通機関を利用しますか?

私なら、東名高速道を車で走ります。
しかし、名古屋から名神にするか、新名神にするか迷うところです。
それとも、時間があるから国道1号線をのんびり行こうかな。
いや~、すぐに新幹線に乗りましょう。
いやいや、急ぐなら飛行機でしょう。


世の中に王道があるとすれば、
このうち、いったいどれが王道なのでしょう。

ましてや、
交通機関が発達している現代社会において、
全ての人が同じルートを選択することはあり得ません。


それは、教育界においても同じです。
子どもたちの多様な生活環境や思考過程を想定するなら、
教師が考える王道にすっぽりと収まる子どもは40人中何人いるでしょうか。
それでも強引に残りの子どもたちも引っ張っていったとしても、
子どもの心にしこりが残ります。

そんなとき、
あなたは”とっておきのカード”を持っていますか。
それは子どもたちにとって
ワクワクするような魅力的なカードですか。


そのような万全な準備をしている人をプロの教師と言います。
あなたはプロの準備ができますか。
あなたはプロですか。

そして、
あなたの運転する学習ドライブで、
途中の湖の紅葉も楽しみながら、
子どもたち全員が無事に目的地に着いたかどうか、
実はそこが一番肝心なところです。


さあ今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

*
**
***

2011年10月25日火曜日

#374 教育は人なりと言いますが・・・!



































おはようございます。

秋田は気温14.9℃、東南東の風、風速3.4m/s、
湿度 94%、気圧1009.0hPa、雨の朝を迎えました。
日中の予想最高気温は19℃、寒冷前線線が通過し寒くなります。

さて、今日は教育に関する話題です。
子ども時代を思い出しながら、
または、
自分の子どもの学校を思い浮かべながら、
おつきあいください。

多くの子どもたちの前に立ち、毎日、直接指導する教師は、
教科の学習知識や知恵が豊富で教科の指導に優れているのは当然のことです。
ここで、子どもに敵わないようでは、教師とは言えません。
しかし、それよりも大事なことがあります。
それは、人間性に問題があってはならないことです。
人間としての資質が重要です。
なぜなら、学校というのは、
それぞれの家庭にとって宝である子どもたちの命を預かっていて、
その子どもたちの命を守ることはもちろん、
その学力と成長を保証することを期待されているからです。
保護者が安心して子どもを任せられる人間性、
それが教師としての第一条件です。

一時間の授業の中で、
学習内容がすぐわかる子もいれば、なかなか理解できない子もいます。
落ち着いて学習できる子もいれば、集中力のない子もいます。
しかし、
そこが教師の出番、教師の力の見せ所なのです。
子どもの学力は子どもの頭の良し悪しで決まるのではなく、
教師の難しいことを易しく、
易しいことを楽しく学習する工夫によって決まります。
あなたの今日の授業に食いつくように、
どんなアイディアでどのような工夫がされていますか。
あなたの話や準備した教材には、
子どもたちが夢中になるような魅力がありますか。
子どもたちの心が、その魅力にワクワクしていますか。
あなたの授業を、子どもたちはいつも待ち望んでいますか。

あなたも薄々感じていることと思いますが、
子どもたちは「国語」や「理科」を学んでいるのではありません。
「○○先生の国語」や「◇◇先生の理科」を学習しているのです。
なぜなら、
子どもたちの目の前にいるのが○○先生や ◇◇先生だからです。
姿形も性格も、言葉も話し方も、板書も指名も、教師によってみんな違います。
その違いによって、子どもたちは教師を評価します。
その結果、
子どもたちに慕われる教師であったり、嫌われる教師になったりします。
あなたはどちらですか。

教科の指導力も大切です。
しかし、もっと必要なのはあなたの人間力です。
そのために、
教師としての魅力、教育者としての魅力、人間としての魅力など、
自分の魅力を輝かせる努力と研修を怠ってはいけません。
例え素晴らしい教師になることができなくても、
素晴らしい教師になろうと努力することは誰にでもできます。
その努力の足跡が、あなたの人間性を高めます。
生徒に頼られる分があなたの指導力であり、
保護者に信頼される分があなたの教師力です。
そして、同僚に声をかけられる分、それがあなたの人間力です。
「教育は人なり」、
そのことをしっかり自覚した上で、
今一番あなたを必要としている子どもに、
教師としての愛を届けて欲しいと願っています。


教師への呼びかけという形式で書いてみましたが、
あなたはどう感じたでしょうか、
お聞かせいただければ幸いです。

さあ今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!

2010年12月20日月曜日

#178 先生、頑張ろう!
















先生という仕事は、子どもの勉強なのだから簡単そうに見えるが、意外に難しい。実は、子どもたちに教えよう理解させようと一生懸命になればなるほど、目の前にいる生徒のことが目に入らなくなる。先生の頭の中は「どんな言葉で説明したらいいか」「黒板にはどう書けば理解してくれるか」「ここで質問が出たら何と答えたらいいか」「私の説明をみんなちゃんと分かってくれるだろうか」などと、自分の教え方ばかりが気になる。つまり、自分の先生としての出来不出来が気になって、肝心の子どもの心の揺れや心理状態に気がつかなくなる。ようするに、「上手な教え方」に気持ちが行っているあいだは、子どもがが見えない。

 その時、子どもたちは「先生の説明を、どのようにノートに書けばいいのだろうか」「計算は、ノートにどう書けばいいのだろうか」「あっ、今の説明をもう一度言ってほしいなあ」「家に帰ったら、何をどう復習すればいいんだろうか」「公式を覚えるには、どうやったらいいのだろうか」などと悩んでいる。しかし、先生は自分の教え方のほうが心配で、それに気づかない。

 では、子どもたちを授業に引きつけ、勉強がわかるようにするには、どうしたらいいのか。それは、授業にできるだけ多くの課題を取り入れて、その課題を子どもたちがどのようにクリアするのか、じっくりと見ることが必要である。学習指導で一番大切なのは、教えることより先に子どもたちの勉強する姿を見ること。子どもと向かい合うのではなく、子どもと並んで座ってみることだ。そうすると、しだいに子どもの心が見えてくる。「なるほど、この子はこんなことを考えていたのか」→だから、今までダメだったんだ。→だから、こんなに優秀なんだ。ということが分かってくる。そうすると「どう教えようか」という悩みはなくなる。しかし今度は、「何を考えさせようか」という悩みが始まる。それが本当の教師の悩みであるべきである。そこに来て初めて、教えることの入口である。いっぱい悩むことだ。その悩みが、先生の教師力を高め、先生の指導力をアップさせ、先生の洞察力を深める。だから、悩みのない先生ほど、いいのではない。逆に、あぶない。

 今年の子どもたちは去年までの子どもたちと違う。来年は、もっと違った子どもたちも入ってくる。だから、先生の悩みに終わりはない。先生の悩みは、先生が教職を去るまで続く。でも、それは先生方にとって、嫌な悩みでないはずだ。それは心地よい悩みで、その心地よさが先生を力づける。日本中の先生たちよ心して頑張ろう!(蛇足だが、永田町の先生方にも、もう少し頑張ってほしい!あなたたちに国民の心が見えていますか?)

2010年12月7日火曜日

#167 成長の喜び その2
















おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は今日も、朝から雨模様。
さて、
昨日のつづきだが、




黄色い帽子をかぶって
ランドセルを背負った一年生が、
見送りに出たお母さんを何度も振り向き、
泣き顔で登校する。
それがついこの間だったのに、
それがどうだろう、
夏を前にするころには、
つぶらな瞳を輝かせ笑顔で登校した。
飛躍的な成長である。
 


みんなで話し合った三角形の面積。
「どうして、2で割るんだろう?」
ああでもない、こうでもないと悩んだ末に、
「そうか!」とわかった瞬間の喜び。
あなたにも、
そんな経験がありませんか。




合唱コンクールに向けて、
毎日、朝に放課後に、
自主的に集まって練習を続け、
その成果が、
当日のハーモニーとなった感動の瞬間。
互いに抱き合って讃え合う輝くような笑顔、
嬉しいのに次々と溢れてくる涙。
中学校のころの、
学級対抗の合唱コンクールである。




優勝をめざして頑張ってきたのに、
惜しくも敗れ、
悔し涙でグラウンドに崩れ落ちた。
それでもやがて、
相手の力が上であったことを認め、
お互いに全力を出し切った満足感を杖として、
立ち上がる強さたくましさ。
心も体も鍛えられた。






さて、
人間は、
受精卵から胚がつくられ、
成長して人体ができるまでの間に、
お母さんのお腹の中で人類の進化の過程をたどる。


それと同じように、
一人の日本人の成長は、
日本社会の成長の過程をたどるのではないだろうか。
日本は弥生時代の農耕社会から、
近代の工業国、
世界の先進国、
そして経済大国に大きく成長した。
と同様に、
一人の人間の夢や視野が、
年齢とともに次第に大きく成長するのだと思う。
成長は生きることであると同時に、
大きな喜びでもある。
成長が喜びとなり、
感動となることによって、
次のステップに向かう勇気となり、決意となる。


子どもたちが、
笑顔いっぱい、元気いっぱい、
夢いっぱいに生きることができるよう、
そのために、
今日も日本中で、
学力偏重ではない
本当の教育が行われていると信じている。

2010年12月6日月曜日

#166  成長と喜び  その1















おはよがんす、
まめでらしか~?

台風のような嵐が過ぎ、
落ち着いた週明けとなった。
それにしても、
秋の天気は変わりやすい。


もっとも、
人間の一生もまた、
波乱の繰り返しみたいである。
しかし、
だからこそ、
努力して乗り越えて生きるに値する
大きな価値があるのだろう。


さらに、
あなたと私は、
生まれも育ちも、
飲んでる水も、吸っている空気も違う。
でも、
それぞれ違った生きる力と生きる必要性を持っている。
だからこそ、
互いに支え合うことに
大きな意味があるのだと思う。




小学校、中学校という若いときは成長期である。
心豊かに、
心身ともにたくましく生きる力を
もっともっと高めてほしい。
そのために、
学習指導があり、
生徒指導があり、
スポ少活動・部活動があり、
道徳も特別活動も、
児童会や生徒会活動も、
そして、
体験活動も受験勉強もあるのだろう。


そして、
そのような活動を通して、
生きるって、生きているって、
こんなに素晴らしいということを実感してほしい。


教職を離れた後でも、
なおさらにそう感じるのは私だけではないだろう。

                 (つづく)


 

2010年10月15日金曜日

#122 キリンもマムシも特定動物!
















学校の近所の住民が、「マムシを捕まえたので、観察学習に使って」と生きたマムシを持ってきた。校長は「生徒に、危険なヘビを識別できるようになってほしい」と、早速、生きたマムシが入ったプラスチック容器のフタを針金で固定して、校舎の廊下に展示した。先月兵庫県宝塚市の中学校で、実際にあった話である。宝塚市とはいっても、この中学校は山間の全校生徒53名の小規模校である。法律で義務づけている県知事の保管許可も得ておらず、兵庫県が事実関係の調査を始めたようだ。何とも人騒がせな事件である。


キリンやゾウを、自宅で飼育するテレビCMがある。SMAPの香取慎吾が、宝くじの当選金でキリンやゾウを購入するコミカルな物語である。穴を開けた屋根から首を出すキリンに、屋根に登ってエサを与えている場面が印象的である。普通の家で、キリンやゾウを飼育するという突拍子もない発想で視聴者の度肝を抜く。しかし、このキリンやゾウは、誰でも飼育していいのか。飼育するために、どんな手続きが必要なのかについて、CMは何もふれていない。


実は、動物愛護管理法という法律がある。その第二十六条には、人の生命、身体又は財産に害を加えるおそれがある動物として政令で定める動物(以下「特定動物」という。)の飼養又は保管を行おうとする者は、管轄する都道府県知事の許可を受けなければならない、と定めている。ここでいう、特定動物とは、クマ、ライオンなど人の生命や財産に害を加える恐れのある動物である。もちろん、マムシもキリン、ゾウも含まれる。ところが、この法律の別表にある特定動物のヘビの項目を見ると、

 ボア科・・・ボアコンストリクター、アナコンダ、アメジストニシキヘビ、
       インドニシキヘビ、アミメニシキヘビ、アフリカニシキヘビ
 なみへび科・・・ ブームスラング属全種、アフリカツルヘビ属全種、
          ヤマカガシ属全種、タチメニス属全種
 コブラ科・・・コブラ科全種
 くさりへび科・・・くさりへび科全種(タイワンハブを除く。)

と記載されている。


えっ、これだけですか?って感じである。マムシは書いていないぞ。これでは、マムシを飼っている秋田の田舎のじっちゃんや、ハブを飼っている沖縄のおじぃは分からないぞ。実はマムシはハブなどと同じ「くさりへび科」であることを始めて知った。でも、何故、タイワンハブは除くなの?などと疑問は尽きない。人生、死ぬまで学習である

2010年10月14日木曜日

#121 こころ その6
















大人の考えを「押しつけること」は簡単である。
しかし、
それでは子どもの「こころ」に響かない。
それでは子どもの「こころ」は動かない。
多少手ぬるくても、
時間がかかっても、
子どもに「気づかせる」ことが大切である。

「こころ」が動かされ、
「こころ」が動いたときに、
私たちは「気づいた」と思う。




幸せとか、
幸福なんかも、
同じだと思う。
幸せは、
向こうから訪れるものではない。
かといって、
獲得するものでもない。
幸せは「気づく」ことである。

自分の心に気づく。
周囲の愛情に気づく。
そして、
自分の幸せに気づく。
そこから、
自然に、
自分のやるべきことに気づくのではないだろうか。


子どもも、
大人も、
「こころ」は同じ。

その「こころ」が動いたときが、
「気づき」の瞬間であり、
新しい自分のスタートなのかも知れない。


さあ、
これからも、
    笑顔いっぱい
      元気いっぱい
        夢いっぱい
          頑張りましょう!

2010年10月13日水曜日

#120 こころ その5
















ノーベル物理学賞を受賞している江崎玲於奈さんが、
今回ノーベル化学賞の受賞が決まった根岸英一教授との会談の中で、
こんなことを言っている。


「日本では学問を教えるとか、
 人間を育てるという表現をします。
 しかし、
 アメリカのようにやる気を起こさせることが大切なんです。」


私も同感である。
教えられたことや言われたことは、
なかなか身につかない。
しかし、
自分で知りたいと思って学んだことは、いつまでも覚えている。
つまり、
「こころ」が動いたかどうかが重要なのだろう。

いかに子どもの「こころ」を動かすことができるか、
それが教育のポイントではないだろうか。
そして、それは、
家庭でも学校でも、職場でも同じである。

2010年10月12日火曜日

#119 こころ その4
















思春期は、
親からの自立心が高まる一方で
友だちへの依存度が強まる。

この時期の子どもたちの心の中で、
学校で道徳の時間に学んだことと、
現実社会のいろいろな事件と、
テレビドラマやテレビゲームや携帯メールの中の世界は
どう区分されているのだろうか。

一緒に暮らしながら、
家族とはろくに会話もなく、
少し話そうとすれば、
ウザイ、クソババ~、クソジジー、
そんな言葉が返ってくる。
一方、
友だちからの呼び出しには、
夜中でもすぐに出かけるし、
食事中も携帯メールをかかさない。

一緒に暮らしている家族とは、
生活を共にしている実感がなく、
メールでやりとりをしている友達とは、
同じ時間を生きているらしい。

日常の友だちとのつきあいは、
道徳か、現実か、バーチャルか。
ちょっとしたトラブルで関係が壊れかかったときに、
道徳的に考えることができるか、
現実的に対応できるか、
バーチャルの世界とは違うことを認識できるか。

それは、
「命の教育」「心の教育」という枠組みでは
くくれない分野の問題である。

2010年10月8日金曜日

#118 こころ その3
















言葉による教育には限界がある。
それは、
言葉による理解に限界があるためである。
「わかること」と「できること」とは違う。
わかっていても、
ついうっかりということがある。
しかし、
うっかりですまされないことがある。
ましてや、
他人の命を脅かすような事であれば、
後でどんなに後悔しても取り返しがつかない。

その最後の一歩をどう堪えるかは、
言葉で教えることなど不可能である。
毎日の生活の中で、
周囲の大人の言動から、
教えられなくても学び習得するものかも知れない。

だとすれば、
大人がどう襟を正して生きられるか、
今、
それが問われている。
しかし、現実は・・・?

2010年10月7日木曜日

#117 こころ その2
















「やりたいこと」と「やって良いこと」は違う。
しかし、今、
毎日のニュース報道やテレビドラマの中で、
あまりにも「人間の命」が失われる場面が多すぎると思うのは、
私だけだろうか。
バーチャルの世界と現実世界の区別が失われつつあると危惧されているが、
それが思春期の子どもの心にどのような影響があるかは、
いまだに検証されていない。
そして、
その検証がないままに、
今日も、殺人ドラマが日本中の茶の間に流され続けている。
異常と思われるような犯罪の原因が、
溢れるほどの成人雑誌や殺戮ドラマにあるとは言わないまでも
無視できない。

生まれてからずうっと、
さまざまの犯罪行為を、
スリルとサスペンスなどと浮かれながら、
ハラハラ、ドキドキしつつ楽しんできた。
テレビは、
犯罪を娯楽にする力がある。
でも、
それはバーチャルだから。
しかし、
それを娯楽ではなくて、
誤解してしまう視聴者もいる。
もしかすると、
知らないうちに、
犯罪者を育て訓練しているのかも知れない。

現に、
事件が起きた後、
「テレビの○○を見て、こうやろうと思った」という言葉を何回も聞く。


バーチャルの世界では、何でも許されるのか。

子どもたちの「こころ」のために、
大人に何ができるか、
もう一度考える必要があるのではないだろうか。

2010年10月6日水曜日

#116 こころ  その1
















「命の教育」や「心の教育」の大切さが強調され、
学校教育に対して指導の徹底と充実が要請されている。
でも、
学校で時間をかけて教えなくても、
中学生であれば、
善悪の判断や社会のルールは十分に知っており、
やろうと思えば、
日常生活で正しく行動することができる。


しかし、
今、問われているのは、
感情が高ぶったり沈み込んだりした時に、
正しい判断をし社会規範を遵守するような
「心のコントロール」ができるかどうかである。


ここで、
少し考えてみると、
自分の子供時代、
教えられた通りになかなか行動できなかった。
でも、
身についたことは、
無意識のうちにも行動できたと思う。


とすれば、
どうやって「心のコントロール」を身につけさせるか
それが課題となるだろう。

2010年9月27日月曜日

#108 名刀正宗とブランドと管理職
















「正宗」、それは、日本刀の歴史を語るとき必ず名前が出てくる。武士の時代であった鎌倉末期に、後世に語り継がれる芸術性の高い名刀を作った刀鍛冶であり、「名工正宗」と呼ばれ、その刀は「名刀正宗」と称された。後の大名の誰もがこの刀を所有することを願ったため、多くの贋作が作られたらしい。それは、正宗には無銘のものが多く、確実なものが少ないからである。それというのも、正宗は自分の作刀に絶対の自信を持っており、誰にもマネができるものではなく、銘を入れる必要もないと思っていたようである。

 あなたが戦国時代の一国の主であるとしよう。ここでもし、「正宗」のような誇り高い名刀一本と安い槍100本のどちらかを選べと言われたら、あなたはどちらを選択しますか。もちろん、今、その国の経済事情や対外事情がどうなのかによると思うが、まあ、一般的な話として考えていただきたい。つまり、高価なブランド品ひとつと、生活の必需品100個のどちらかをあげると言われたら、あなたはどちらを選択しますかという問題である。とすれば、あなたの嗜好傾向や心理状態にも左右されるだろう。

翻って、学校現場である。毎日の教育活動に教師の数は何人いてもこれで十分ということはない。文科省が35人学級にして教員増などと言っているが、学校現場としてはできることならもっともっと欲しいところだ。それほど、学校に求められる課題が多種多様を極めており、保護者が学校に求める要求も多様化している。しかし、それで事足りるかというとそうではなく、やはり、イザと言うときの名刀も必要であることは間違いない。管理職が名刀で、それで十分という場合もある。しかし、いつの時代もどこの現場であっても、管理職が名刀とは言い切れない場合もあるし、贋作もある。

 自分が鍛えた刀に銘を入れないと豪語するだけの名人がいるとすれば、その刀は相手が100人でも千人万人でも、一刀両断、その人の話に引き込まれるに違いない。確かに、そのような場面が、学校現場において一年のうちに一度や二度はある。その人が饒舌だったわけでも大声で威嚇したわけでもない。それにもかかわらず、そこにいる全員が、その人の姿を目で追い続け、口から出てくる言葉に聞き入ってしまうのだ。まさに名工名刀である。それは、その人の心に自分の心が揺さぶられ、心が共鳴するからだろう。私も昔、そのようになりたいと思ったことがある。そうなることができたらと夢見たこともある。しかし、所詮、凡人の夢物語である。諦めた私は、いつも記名する。

2010年9月20日月曜日

#102 秋空に紙飛行機!
















 教室の窓に並んだ子どもたちが、秋空に向け一斉に紙飛行機を飛ばす。宙に投げられた紙飛行機は、それぞれに軌跡を描く。あるものは上昇気流をとらえて高く舞い上がり、あるものは螺旋状に回りながら地上をめざす。また、あるものは途中の樹木の枝に引っかかり、あるものは互いにぶつかりあって急降下する。

 ドラマのワンシーンであれば、それもいい。しかし、現実の学校での出来事ならそうはいかない。私は今、過去に実際に起きた悲劇を思い出している。それは、たった1機の紙飛行機が、窓の外に飛ばされたことから始まった。それをきっかけに、毎日のように教室の窓の下には、たくさんの紙飛行機が舞い散るようになった。そしてそれは、学級崩壊のスタートであり、校内暴力の嵐が吹き荒れる前ぶれであった。

学習や部活動、生徒会活動など何でもいいけれども、学校生活の中に喜びや楽しさを見つけ生き生きと取り組んでいる子どもは、多少のストレスにも打ち勝つ力を持っている。しかし、現実には、学校の教育活動のどれもが嫌になるほどストレスを抱えている子どももいる。彼らは束縛を嫌い、自分勝手に振る舞うことが自由だと錯覚する。そして、自分で押さえきれないほどのストレスからの開放を願い、紙飛行機を大空に飛ばす。紙飛行機が重力に耐えかねて地上に到達するまでの、短い時間の限られた自由だと知りつつ。

 ある時、校長室の窓の外を紙飛行機が飛んだ。驚いた校長がすぐ全職員に、その紙飛行機を飛ばした子どもを連れてくるように指示した。やがて、三人の子どもが学級担任に連れられて恐る恐る校長室に入った。しかし、校長は満面の笑みを浮かべながら両手を広げて迎え入れ、まだ封を切っていない模型飛行機製作キッドを手渡してこう言った。「紙飛行機に興味があるなら、ちょうどいい。どうせなら、紙飛行機よりも、この模型飛行機を作ってきなさい。」3週間後の全校集会、この3人の子どもたちは体育館のステージから製作した模型飛行機を飛ばし、全校生徒の喝采をあびた。こうして、この3人の子どもたちのストレスが解消し、教職員の危惧も吹っ飛び、学校は教育崩壊を免れた。それにしても、何故、まるでこのようなシナリオを予測していたかのように、模型飛行機製作キッドが校長室にあったのだろうか。今も謎である。

2010年9月11日土曜日

#97 恋の病と中学生 その2

















さて、昨日の話の続きです。

「私は大丈夫」などと油断してはなりません。
恋の病には誰でもかかります。
若者も年寄りも、
大統領も王族も、
スポーツ選手も芸能人もかかります。
病気が進めば、
わが身を滅ぼし、
他の人を不幸にします。
歴史物語や、
新聞・テレビで見て、
キミたちも知っているはずです。

恋の病は、
お医者様でも草津の湯でも治りません。
だから予防が第一です。

昔の人たちが、
予防薬として考え出したのは「我慢」です。
例えば、
「家庭をつくり、子を育てる条件の整わぬ恋は我慢する」とか、
「親や子や、家族や周りの人を泣かせる恋は我慢する」とか、
「共に白髪の百歳までも、添い遂げる覚悟のない恋は我慢する」などです。

この「我慢」の鉄則守って、
身も心も燃えるほどに激しい恋を諦めた悲しい物語は、
昔も今もたくさんあります。
百、千の恋をしたとしても、
結ばれる恋はただ一つです。
「我慢」の試練を乗り越えてこそ、
時が至れば、
幸せな恋が訪れます。
「我慢」の習慣の無い人は、
必ず、
不純交友やストーカーに走ります。
大人になってからも、
離婚や、不倫や、犯罪行為で家庭を壊し、
子供を泣かせます。

だから、
好きな人と出会っても、
すぐにラブレターを書いたり、
「あなたが好き」と言ったり、
手を握ったりしてはなりません。

まず我慢しなさい。

これが中学生の男女交際のコツです。

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詳しくは、こちらをクリックしてください。
http://www.e-asu.com/koujin/newfile/kanako10/kanako10.html

2010年9月10日金曜日

#96 恋の病と中学生 その1
















秋田は、久しぶりに肌寒い朝が戻ってきました。
これでやっと秋になれるかも・・・?
さて、このたび、
大先輩の船越準蔵先生がまたまた本を出版されました。
可奈子への手紙シリーズの10冊目で、
「助け合う魂を心に吹き込む」(公人の友社)という題名です。
その本の中に、こんな話がありましたので紹介します。

中学校2年の学年集会でのある先生の講話です。

地上に命が満ちあふれ、
助け合い、補い合って生きるようにと、
神様は人間に男と女をつくられました。
そして、
男には女を好きになる薬を、
女には男を好きになる薬を、
一服ずつ盛ってくださいました。
何しろ生まれてくる人間の数が多くて忙しいものですから、
薬の量はきわめて大ざっぱで、
多く盛られた人もいれば、少ししか盛られない人もいます。
中には気の毒に、
反対の薬を盛られた人もいるくらいです。(笑)

ですから、この薬の効き目の現れ方は、
人によってマチマチです。
幼稚園の頃から異性とばかり遊びたがる子もいれば、
二十歳過ぎても異性に関心がなくて、
親をやきもきさせる子もいます。
しかし、
ほとんどの人は中学2年生ごろになれば薬が効いてきて、
異性を強く意識するようになります。
そして、心のずっと奥の方で、
自分にとって好ましい異性を探し求めるようになります。
この、異性を求める感情は、甘く切なく、強く激しく、
ときには分別さえも失わせます。
それが原因で、道を誤り、人と争い。
家庭や国を危うくした者さえいます。
キミたちは今、その危険な年齢になったのです。

                  (続く)

2010年9月6日月曜日

#95 逃さず 流さず 怖じけずに
















 若い頃の私は、勝手気ままで我がままな困った子どもであったらしい。そのため、母親からはうるさいくらいに細かなことまで、毎日毎日、日課のように注意された。そして、月一の割合で父親の雷が落ちた。しかし、誰に聞いても同じで、私だけがそうであったのではなく、あの時代の誰もがそうであったようである。しかし、これは私だけのことだが、あるとき、窓も電気もない味噌蔵に閉じこめられた。暗くて怖いのと臭いがきついことから、二度とやらないと誓ったが、いったい何をしでかしたのかは記憶にない。

 毎日注意する母親と、月一雷の父親。今考えてみると、絶妙の夫婦連携である。これが、週一の注意と年一の雷程度であったなら、今の私はない。私が曲がりなりにも成長し、義務教育を終え、高校・大学を卒業し、職を得て、その職を定年まで全うすることができたのは、そのおかげである。「瓜食めば 子ども思うほゆ 栗食めば まして偲はゆ 」と言うけれども、最近、やっとその親心の真意が分かるようになってきた気がする。しかし、私の両親はともに、すでにこの世の人ではない。

 学校で子どもたちに向かい合うとき、教育はいつでも真剣勝負である。授業であれ、休憩時間であれ、部活動であれ、学校生活の中で子どもたちが見せる言動の中には、ここだという瞬間がある。ここを逃してはいけない瞬間がある。その指導支援の瞬間を見逃したり聞き流したのでは教育にならない。「まあ、いいか」と流してしまっったり、「私が言わなくても」と尻込みしていては、教育にならない。その瞬間に「まあ、いいか」と流したり妥協したりすることは、子どもが伸びる機会、高まる機会を教師自身がつぶしてしまうことになる。ましてや、「誰かが言うだろう」と思ったとすれば、それは、自分が教育者であることを否定することになる。

 誰かが答えを間違ったとき、「クスッ」という笑い声が聞こえた。正論を述べた友だちを、周囲が冷ややかな目で見つめた。授業中に前席の友だちの背中に、張り紙のイタズラをした。放課後の教室で、張り紙の破れを一人繕っている姿があった。・・・その瞬間を「逃さず 流さず 怖じけずに」、子どもたちを正しく導くことができるかどうか、教師の真価が問われる場面でもある。また、この瞬間にどう対応するかによって、子どもたちは教師の人間性を見極める。母親みたいに、口やかましい教師がいる。父親のように、まとめて雷を落とす教師もいる。どちらも学校に必要な教師である。しかし、その瞬間を見ていながら、逃す教師、流す教師、怖じ気づく教師はいらない。

2010年8月30日月曜日

#92 授業も食事もメリハリが大事!
















 子どもたちにとって、その日の時間割というのは教師が考える以上に重要らしい。例えば週明けの月曜日の授業が、国・数・英・道・理・社であったらどうだろう。月曜日だけ頑張れば他の曜日に楽できる、と考える子どもはほとんどいない。大多数の子どもの生活は一日一日に喜怒哀楽があり、今日の苦は明日の楽などと考えることはない。もっとも、これが金曜日であれば、月曜日ほど苦痛ではないらしい。しかし、できれば一日に5教科が勢揃いするような時間割は避けたいので、時間割作成担当としては最も気をつかうところである。

 さて、配布された学級の時間割の案を見て、学級担任として最初にチェックしたいのが曜日毎の「教師の配列」である。さっきと同様に週明けの月曜日について考えてみよう。一校時国語が仕分けに厳しい蓮舫先生、二校時数学がつっこみの鋭い太田総理、三校時英語が国務大臣のクリントン先生、四校時道徳がしつけの厳しい学級担任、五校時理科が基礎実験を重視する湯川秀樹先生、最後の六校時社会がTVタックルでお馴染みの逆ギレ三宅爺さん先生だとしたら、子どもたちはどこでも息が抜けなくて大変だろう。

 毎日の食事代にも不自由していた若い頃、朝昼晩の3食が毎日フルコースであったらと、そう思ったことがある。でも、毎朝、しっかり食べる時間を確保するためには、もっと早起きしなければならないし、昼食も時間をかけたフルコースだと、食後の喫煙タイムがなくなってしまう。まして、朝昼とフルコースを食べた夕食のフルコースは、嫌になってしまうのではないだろうか。きっと、そろそろソーメンやお茶漬けでいいやと思うだろう。ましてや、それが明日も明後日も続くとなったら、楽しいはずの食事時間がどうなってしまうのだろうか。もちろん、試したことはない。試してみようとも思わないし、そもそも我が家にそんな経済的余裕はない。

 さあ、そろそろ話をまとめたいのだがどうしようか。そうそう、子どもたちの時間割の話であった。子どもたちの時間割は「教科の配列」と「教師の配列」の両方が大事である。逆に、教師サイドから考えても、子どもたちの学習がきちんと淀みなく充実するよう、一日の配列と曜日ごとの配列が重要である。そして時には、渥美清の寅さんのような先生の授業だったり、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪のような先生の授業が必要だ。あの沖縄興南高校の島袋投手だって、すべてのバッターに速球一本で通したわけではない。毎月、お母さんから1千5百万のお小遣いが振り込まれていた○○さんだって、毎日の3食がフルコースではなかった。ちなみに私は、朝にトースト2枚、昼にオニギリ2個である。そうやって日中いっぱい、オカズに飢えた生活に必死に耐える。すると、毎日の夕食が楽しみで、どんなオカズでも美味しく満足感と満腹感が得られるのである。