
あなたは最近、褒められたことがありますか?では、怒られたことは?そして、叱られたことは?仕事上の上司と部下、学校の先生と生徒、さらに、家庭での親と子、飼い主とペットなど、どのような関係であっても「褒める」ってことは、とても大切である。みんなの前で「褒める」と、その効果はもっと高まる。さらにもっと効果を高めるのは、日頃、きちんと「叱る」ことである。しかし、近頃、「叱る」ことのできる人が少なくなって、「怒る」人ばかりになったという話を聞く。「叱る」のも「怒る」のも、同じような気がするが・・?「叱る」と「怒る」はどう違うのだろうか。
広辞苑ではこう説明している。「怒る」は、いかる、腹を立てること。「叱る」は、とがめ戒めること。さらに「戒める」は教え諭す、過ちのないように注意する、用心させる。つまり、「人を叱る」というのは、感情の赴くままに怒りを爆発させることではなく、事の善悪を相手にしっかりと教え諭し、今後、同じような過ちを繰り返さないように、日常生活のおいて用心できるように冷静に指導することである。間違っても、腹立たしい感情をただひたすら相手にぶつけることではない。
あの横綱白鵬が大関時代に、右ひざを痛めて、理由も言わずに朝稽古を続けて休んだことがあった。そのとき、「荷物をまとめてモンゴルに帰れ」と、育ての親の熊ケ谷親方からひどく怒られ、厳しく相撲道を諭されたようだ。そのときのことを白鵬は、「人を叱るのはエネルギーが要る行為だ」と、今も感謝を忘れないという。「怒る」と「叱る」の両方を兼ね備えた親方には、弟子に対する愛情も指導力があり、指導される側の白鵬との信頼関係がしっかりできているためであろう。
「叱る」ためには、相手に対する愛情と確固たる価値観・人生観が必要であり、さらに、怒りに流されないような心の余裕が必要である。そして、その場で短く、自分の言葉で、理由を示しながら、行動そのものを叱ることである。怒りの感情を爆発させただけでは、人の顔色を伺って行動するようになってしまう。また、「何をやってもダメだな」などと、行動そのものではなく人格を否定しては、萎縮しやる気が失われてしまう。さらに、「○○部長にも怒ってもらうからね」などと自分以外の権威を使って叱るのは、自分の信用や相手との信頼関係までなくしてしまう。もっと言うならば、正論をくどくど言い続ける長い説教は愚の骨頂で、言っていることが正しいだけに、相手は逃げ道を失って反抗的になりかねない危険がある。叱り方にも品位が必要である。
相手の人間性を高めたいと思ったなら、人間味溢れる指導が必要だという当たり前の話である。しかし、今は、その当たり前が難しい時代、当たり前が当たり前でなくなる時代である。その時代の嵐は、庶民の生活から政治・経済・司法まで飲み込もうとしている。「♪こんな時代に誰がした~♪」などと、のんきに歌ってはいられない。