「奥州曙光」

「奥州曙光」
【壁紙】第85回全国花火競技大会 大会提供花火

2010年6月16日水曜日

#41 久しぶりの雨




白ばら











秋田は、朝から久しぶりの雨です。

人間にとっては、やっかいな雨。

しかし、
動物にとっては貴重な水資源。
植物にとっては欠かせない雨。

一方、
人間にとって、
植物も動物も大切な食料。

だから、
雨は人間にとっても欠かせないもの。

雨を見上げ、
有り難い天の恵みに感謝しながら、

今日も、
笑顔いっぱい、元気いっぱい、夢いっぱいに頑張りましょう!

2010年6月15日火曜日

#40 本気




君子蘭







今年も
咲きました





   

   本気

なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば
たのしいから
本気でやれば
つかれないから
つかれても
つかれが
さわやかだから
 
      「相田みつを」の詩集から


でも、
さすがに今朝は寝不足!
でも、さわやか。
サッカーW杯のカメルーン戦、
2:0で快勝!
でも、寝不足!
日本中が眠いのかな?
日本中がさわやか!

2010年6月14日月曜日

#39 ドングリコ!

 子どものように昆虫採集が趣味という解剖学者の養老孟司さんと、一貫して子ども向けの作品をつくっているアニメ作家で映画監督の宮崎駿さんが対談をした。その時の話が本になった、題名が「虫眼とアニ眼」というから面白い。徳間書店から出版され、新潮社から文庫本も出ている。

 10ページほど読み進んだところで、宮崎さんがこんな話をしている。
 親から、「うちの子どもはトトロが大好きで、もう100回くらい見てます」なんて手紙が来ると、そのたびにこれはヤバイなあと、心底思うんですね。誕生日に一回見せればいいのにって。結局、子どもたちのことについて何にも考えてない。~(中略)~トトロの映画を一回見ただけだったら、ドングリでも拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。なんで、そこがわからないんだろうと思うんだけど。いっそビデオの箱に書きたいですね、「見るのは年に一回にしてください」って。

いつの頃からか、学校が求める子ども像と保護者が求める子どもとが、大きくかけ離れてしまった。最初に人間の出来不出来が大切で、その次に勉強であった時代は、もう昔話になったのだろうか。どちらかが歩み寄って、望ましい子どもの姿を描こうとする矢先に、また、全国学力テストが始まった。人間性でメシが食えるかという考えが暗雲のように立ちこめ、安心安全が最優先で2番目に学力という時代である。中学生が学習塾から夜9時10時に帰宅するという状況を見ると、学力が最優先の時代なのかも知れない。

 市内の子どもの中には、ドングリの実を花屋さんで買うという子どももいる。その昔、小学校で「ドングリ、ころころ、ドングリコ」を習った翌日、友だち数人とグリコのキャラメルをしゃぶりながら近くの山に出かけ、野球帽に溢れるほどドングリを採った。それに比べると、今の子どもたちが可愛そうでならない。理科大好きの子どもたちを、理科嫌いにしたてあげたのは現代社会である。それなのに、子どもたちの責任であるかのように論じている大人がいる。おかしいよ。

 上記の第2段落の中ほどにある(中略)の部分で、宮崎さんは次のような警鐘を鳴らしている。「だって、結果として、養老さんが言うところの脳化社会に、ぴったり適応するような脳みそ人間だけを育てようとしてるでしょう。」歴史は繰り返すと言うが、教育が荒廃し校内暴力が吹き荒れた時代を繰り返してはならない。だからこそ、教育行政にも教育現場にも、歴史に学ぶ智恵と新たな歴史を創る方策が求められている。

2010年6月11日金曜日

#38 台所事情
















今日は、家庭の台所の話である。

よく、主婦は

「自分が作ったものより、人が作ってくれた方が美味しい」と言う。
 
男の料理の場合は、

「俺が作ったカレー、最高!」と思う。

女性が謙遜してるのか、

男性がうぬぼれているのか分からないが・・・?

新婚時代のように、

いちゃいちゃしながら一緒に料理するのが一番だろうが。

長く一緒に暮らしていると、

なかなか、そうはいかないのが台所事情である。

だから、

週末はカレーでもつくろうかな!

そして、

笑顔いっぱい、元気いっぱい、夢いっぱいに頑張ろう!

2010年6月9日水曜日

#37 喜びと悲しみ
















喜びはいくらでも嬉しい。
喜びはいつでも楽しい。
だから、
人は喜びを待ちこがれ心をはずませる。

悲しみは少しでも苦しい。
悲しみはできるなら受け取りたくない。
だから、
人は悲しみから逃れようと心を閉ざす。

でも、
生きている限り、
どちらとのつきあいも欠かせない。
喜びにも悲しみにも、
どちらにも心が揺れる。
そして、
揺れながら今日も生きる。

2010年6月8日火曜日

#36 幸せと不幸



スイレン





千秋公園
のお堀





幸せと向き合うのは嬉しい。
幸せとつきあうのは楽しい。
だから、
幸せは笑顔。

不幸と向き合うのは苦しい。
不幸とつきあうのは難しい。
だから、
不幸は苦い顔。

でも、
生きていると、
どちらのつきあいも欠かせない。
笑顔も苦い顔も、
どちらも自分の素顔。

だったら、
笑顔を長く、苦い顔を短く生きたい。
そのためにも、
今日もまた、
笑顔いっぱい 元気いっぱい 夢いっぱい
頑張ろう!

2010年6月7日月曜日

#35 モンスターとパートナー

 ある日、小学生が学校の帰り道、間違って店のショーウインドーのガラスを割ってしまった。すぐに学級担任と生徒指導主事がかけつけるとともに、父親に電話して来ていただいた。ところが、父親は「学校の帰り道のことだから、責任は学校にあるでしょう」と言い張る。おまけに、「仕事中に出て来たから、休業補償をしてもらいたい」と主張する。さて、あなたならどう対応するだろうか。

 もう一つ。卒業アルバムに子どもが変な顔に撮れていると、親から抗議の電話が来た。電話では何ですからということで、学校に来ていただくことにした。まもなく、両親が来校した。迎えに出た学級担任が、この子どもが一人っ子であることを知っていたので、思わず「一人っ子だと子どもさんが可愛いでしょう」と言ってしまった。これを聞いた両親の、怒りのトーンが急上昇したのは言うまでもない。それですめば良かったのに、何を考えたのか学級担任は、「このアルバムは、30年間も写真を撮り続けているプロのカメラマンの撮影ですよ」と言ってしまったから大変。「アルバムを作り直せ」と要求がグレードアップしてしまった。

 モンスターペアレンツという言葉がある。確かに無理難題を要求するモンスターはゼロではない。しかし、大部分の保護者は学校に協力的なパートナーペアレンツである。PTAや教育振興会、学校応援団みたいな組織が成立し、○○学校安全パトロール隊が朝に夕に、主な街角や交叉点で自主的に活動してくれている。本当に有り難いことである。

 パートナーがモンスターに変わるのは、何も保護者に限ったことではない。私なんかは、家の中にいながらその瞬間を何度も目撃している。あなたにも、そのような経験があるのではないだろうか。パートナーがモンスターに変わるには、理由がある。その理由が大きな悩みであったり、ストレスであることも多い。モンスターと言っても、もともとは善良な保護者である。だから、保護者の要求の裏側にある悩みを汲み取ってあげないことには、話にならないし前に進まない。傷口にいきなり木や鉄の板を貼る人はいない。やはり、優しく傷口の血や泥を拭き取り、消毒し、柔らかいガーゼで覆ってあげることが必要である。もっとも、その傷を治す特効薬はない。しかし、多くの場合、その治療薬を保護者自身が持っているものである。それに気づくのは、怒りが収まってモンスターからパートナーに戻ってからであろう。そうなる前に、対応を焦ってはいけないし、傷口に塩を塗ることだけはするまい。