「奥州曙光」

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2011年12月8日木曜日

#398 楽しまなくっちゃ~!



























おはようございます。
秋田は気温1.3℃、北の風、風速3.4m/s、
湿度92%、気圧1017.1hPa、曇りの朝を迎えました。
今日は曇り時々雪の予報で、
日中の予想最高気温は3℃、寒い一日になりそうです。

なんでもそうだと思いますが、
そのことについてよく知っている人よりも、
そのことが好きで好きでたまらない人のほうが素敵です。
さらに、
そのことが楽しくてしょうがないという人がいますが、
そういう人は素晴らしいと思います。

仕事や人生も同じでしょう。
仕事や生きる意義などを知ることよりも、
先ず仕事を好きになること、
生きることが素敵だと感じること、
そして、
仕事や生きることを楽しまなくっちゃ~!

あなたも、
たくさん楽ししんでいますか~・・・?

さあ今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張りましょう!



*



**



***



2011年8月25日木曜日

#337 一滴の水!




























おはよがんす、まめでらしか~?

秋田は気温22.2 ℃、北北東の風、風速1.4m/s、
湿度90%、気圧1013.0hPa、雨の朝を迎えました。
大雨警報、雷注意報が出ています。


さて、
人生50年と言われた戦国時代に比べると、
食糧事情も大きく変わり、
医療技術の進歩もあって人生80年とも言われ、
100歳を超える長寿も珍しくなくなりました。
一生懸命に勉強し汗水流して働き、
愛する人を捜し求め、頑張ってお金を稼ぎ、
長生きしたいと健康に注意し、
少しでも美しくありたいと美容に気を遣います。


しかし、考えてみてください。
愛する人も財産も健康も、そして、その美貌も、
あちらの世界まで持って行くことはできないのですよ。
あなたの命と共に、
そのすべてがあなたのものでなくなってしまいます。
そして、
その直前にあなたに与えられるのは、水一滴だけです。

仏典によると仏陀の末期の時に、
雪山に住む鬼神が鉢に浄水を酌み、
これを仏陀に捧げたと言われています。


死ぬほど苦労して頑張って頑張って、
最後の最後が・・・一滴の水。
それをいただいて、あちらの世界に旅立つのです。


美食とか、グルメだとか言っていても、
最後は誰でも一滴の水。
つまり、
友達、恋人、妻、家族、健康、お金、財産、地位や名誉など、
私たちが「生きる目的」だと思ってきたのは、
実はそうではなく、単なる「生きる手段」であったということです。
これが人生です。
しかしこれも、大切な他の生き物たちの、
その命を食べてきた報いなのでしょうか。
ああ、無情!これが人生というものです。


せめて、
その最後の一滴の水に放射能が含まれていないことを祈るのですが、
それさえ、もうどうでもいい瞬間なのかもしれません。


さあ今日も
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
頑張りましょう!

*
**
***

2011年7月19日火曜日

#312 あきらめない、なでしこ!
















おはよがんす、まめでらしか~?

秋田は気温25.7℃、南東の風、風速2.8m/s、
湿度78%、気圧1006.9hPa、晴れの朝を迎えました。
日中は35℃まで上がる予報です。


なでしこジャパンは、「被災地の頑張りから力を貰いました」

被災地では「あきらめないなでしこに、パワーをいただいた」

お互いに思い思われ、
その思いが絆となって結びあう。


あの力強く速いアメリカに、
二度も追いつき、そして追い越した「なでしこジャパン」

アメリカのゴールキーパーが言っていた。
「日本のチームには、何か大きな力が働いていた」


個人技とか、

連携プレーとか、

作戦とか、

そういうものではない、

何かもっと大きな力。

眠っていたその力を探しだして、
ここまで大きく膨らませた「なでしこジャパン」


万歳!なでしこ!
万歳!日本!

さあ今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
がんばりましょう!
*
*
*

2011年1月5日水曜日

#191  何かを超えた!











おはよがんす、まめでらしか~?

秋田は、気温0.3℃、北北東の風、風速 2m/s、
積雪13㎝、湿度75%、気圧1011.6hPa、粉雪の朝を迎えた。
特に注意報は出ていないが、曇り時々雪の予報。





 「 自分という人間をもっと大きくしたいから、
   山に登りたいし、
   いろいろなサークルに出ていろいろな人と話をしたい。

   昨年は、
   無心に山を登ってるうちに、
   何かを超えたような気がする。」




新年早々に、30代の若者から、頼もしい話を聞いた。
聞いている側としては、「何かを超えた」ということに感動する。
しかし本人は、「あの岩壁を登っているとき、そう思った」と、
「あの岩壁」を強調していた。
何か、とてつもなく大きな、そして確かな実感があるのだろう。
それは、本人しかわからないことかも知れない。

でも、この話を聞いていて、私も本当に嬉しかったのです。
人間を大きくしたいから、
他人とのつきあいを多くしようと考えたことに心から賛同する。
また、何かを超えたという実感、
その感動を大切にしてほしいと願っている。

若者にとっても、
私にとっても、
そして、
このブログを読んでくださる方々にとっても、
ウサギのように、
心も体も跳ね上がる一年になるよう祈っている。

そのため今日も、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい頑張ろう!

2010年12月31日金曜日

#188 新春の道標




















テレビで
京都知恩院の除夜の鐘を聞きながら、
かみさんと二人で
年越しそばをいただいた。



新年あけまして

    おめでとう!







笑顔の道標

    元気の道標

        夢の道標







この3つの道標を頼りにしながら、

今年も頑張ろうと思っている。



まだまだ発展途上の「こ~ひ~たいむ」だが、

今年もよろしく!

2010年12月29日水曜日

#186 子どもたちへ












・・・・・ベルが鳴る・・・灯が落ちる・・・幕が上がる。
・・・・・そして、スポットライトを浴びて主役が登場する。


あなたは今、その舞台に立っている。
そして家族や地域の人たち、学校の友達や先生が共演者として同じ舞台にいる。
そう、このドラマの主人公はあなたである。
このドラマはあなたの日常生活の物語である。
もちろん、ストーリーもシナリオもなく、場面も背景も、セリフもアクションも、そして、その時々の表情やしぐさまで、すべてあなたのお気に召すままにというか、まったくの自由である。
しかし、昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日もなく、毎日が初舞台である。


人生は舞台だ。
あなたの毎日は、あなたを主人公としたドラマである。
「毎日を、夢のように素敵なドラマに」することもできるし、「平凡な毎日に」することもできる。
また、「こんなドラマは面白くない」と言うことも、「おまえの演技はなんてヘタなんだ」と文句を言うのも自由である。
あるいは、「こんな役はつまらない。もっと素敵な役がいい」と後ろを向いてしまうこともできるだろう。


・・・・・大勢いた人たちが、みんな立ち去る・・・照明が落とされる。

・・・・・そして、一人残ったあなたにスポットがあたる。


あなたは今、舞台の上に一人だけ。そこは、あなたの部屋の中、どこか寂しそうな横顔に後悔のいろが見える。
「さっき、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう
・・・」「あいつは、俺のことをどう思ったのだろうか・・・」
「これからも、友達でいてくれるだろうか・・・」
「いや、あいつなら分かってくれるはずだ・・・」と、つぶやきながらベッドにもぐり込む。


人生という舞台には、いろいろなドラマがある。
しかし、忘れてはならないことは、取り返しのつくこととつかないことがあることだ。
自分が主人公のドラマでありながら、自分の思い通りになんかならないことである。
彼も、彼女も、そして、あいつも、それぞれが主人公のドラマがあり、そのドラマの中であなたは脇役でしかないのだ。
そのことを知りつつ、自分に与えられた役割を巧みに演じ、演じきることを楽しめる人が、納得のいく人生を送ることができる。
魅力的な人生は、必ずしも名誉や地位や財産を得ることとイコールではなく、拍手喝采をあびるような大スターになることでもない。
しかし、例えどんな舞台であっても自分に与えられた役を楽しんで演じ、家族や友達と親しみ心豊かに生きられるなら、それに勝る人生はない。


明日もまた、あなたの舞台を楽しみにしてるよ。

2010年12月28日火曜日

#185 人間だから!











おはよがんす、まめでらしか~?

世の中には、いろんな人がいる。
だから大変でもあり、だから面白いのかも知れない。
例えば、
口説き上手というか、話の上手な人がいる。
律儀な贈り物上手な人がいる。
無口で真面目が売り物という人がいる。

しかし、
どんなにうまい話にも、どんな贈り物にも、真面目な売り込みにも、
私の心は動かない。

だって、興味のない話なんか聞いていないから。
だって、何も欲しくないから。
だって、真面目だけで世の中を渡れないから。

しかし、
話の中身に興味はないが、話の端々にのぞく人間性には大いに興味がある。
物に興味はないが、人柄が偲ばれる手作り品には心が惹かれる。
真面目な表情の作り笑いに興味はないが、ふと呟いた人情味あふれる一言に惚れる。

私も人間だから。

素直なのか素直でないのか、そこのところは分からない。

でも、
人間って不思議な生き物だと思う。
そこが面白いし、その面白さを、もう少しだけ味わっていたい。

私も人間だから。

2010年12月24日金曜日

#181 最高の贈り物!
















おはよがんす、まめでらしか~?
秋田は気温3.9℃、西北西の風、風速 10m/s、
湿度68%、気圧 1003.7hPa、雪の朝を迎えました。

これから荒れ模様となる予報で、
暴風雪警報、雷注意報、波浪注意報が発令されています。

秋田は、現在の積雪ゼロ。
そんな状況を可愛そうに思ったのか、
クリスマス・イヴに合わせて雪をプレゼントしてくれそうです。

雪は天からの贈り物

しかし、雪に限らず、「過ぎたるは及ばざるが如し」

不況の折、クリスマスプレゼントもほどほどに!
もっとも、もう貰うような年齢でもないが・・・?
今日もまた、何とか無事に暮らせたら、これ以上の贈り物はない。

ありふれた日常

それが、私自身への最高の贈り物なのかもしれない。
それが嬉しくもあり、嬉しくもなし。

今日もまた、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
頑張りましょう!

2010年11月28日日曜日

#159  「加奈子への手紙」シリーズ


















おはよがんす、まめでらしか~?


今朝は、
気温7.7℃、
西北西の風、風速7m/s,
湿度77%、気圧hPa、
あいにくの雨模様の秋田です。


昨日は、
「加奈子への手紙」シリーズの10冊目の発刊をお祝いするため、
船越準蔵先生ご夫妻を囲む会がありました。
83歳を越える先生が、
なおご壮健でにこやかに笑みを浮かべ、
少々はにかみ、奥様をかばいながら来られました。

会を企画した幹事さんたちも
みな80歳前後という年齢にもかかわらず、
受付から司会進行まで、若い者には任せられないという
元気のよさに驚きました。

数十年ぶりに昔の同僚が集い、
あのころ、このころと話がはずみ、
誰もがすっかり遠い昔の、
若かりし頃に戻っているようでした。

そうです。
あのころ、みんな若かったのです。

でも、
あのころの話をしている瞳が、
あのころの若さに輝いてくるのは不思議です。
想い出は単なる想い出ではなく、
今を輝かせるものかも知れません。

私もまた、
少し若返ったような心地で家に戻りました。

2010年11月23日火曜日

#154  私が生まれてきた訳は?
















こんにちわ、まめでらしか~?

勤労感謝の日ということで、
さだまさしさんの
「いにちの理由」という曲を聴いた。
心が揺さぶられるような気がした。

人間の応援歌というか、
都会の生活に疲れたとき、
仕事でいらついたとき、
ちょっと落ち込んだとき、
人生につまづいたとき、
対人関係でブルーになったとき、
怒鳴られたとき、
怒鳴ってしまったとき、

そんなとき聴いたら、いい。
こんな歌です。



いのちの理由

私が生まれてきた訳は
父と母とに出会うため
私が生まれてきた訳は
きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきた訳は
友達みんなに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため

春来れば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように

私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを傷つけて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに傷ついて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かに救われて
私が生まれてきた訳は
何処かの誰かを救うため

夜が来て 闇自ずから染みるよう
朝が来て 光自ずから照らすよう
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように

私が生まれてきた訳は
愛しいあなたに出会うため
私が生まれてきた訳は
愛しいあなたを護るため

2010年11月21日日曜日

#152 そのとき、龍馬が信じたのは・・・? その2
















おはよがんす、まめでらしか~?
昨日のつづきです。



秋田市の中学校の入学式では、
校長が壇上から降りて、
新入生のひとりひとりと握手をする光景が見られるという。

いやぁ~、とっても凄いことである。
中一ギャップが心配されている折、
新入生にとって入学式は中学校生活の初日でもあり、
胸がドキドキ膝がガクガクという、
ガチガチの緊張感クライマックスである。

その入学式という大勢の来賓・在校生が居並ぶ中で、
校長が自分と同じ床に立って手をさしのべて迎えてくれる。
それは、大きな感動に違いない。
そして、心がホッコリするのではないだろうか。



「下士が上士に虐げられるという、
 この土佐の古い仕組みが憎い。
 大政奉還となれば、幕府も藩も、
 そして武士という身分もなくなるだろう。」


そう思い、
そう願い、
そんな日本をつくろうと大志を描いた龍馬にとって、
同じ地べた、
同じ目線で話してくれる大殿さまの、
人間としての器の大きさが頼りであった。

そして大殿さまも見事、それに応えてくれた。
だからこそ、
当時とすれば大それた大事業を成し遂げられたのであろう。
ドラマでは、
後藤象二郎が龍馬に握手を求めた。

今、中学校の入学式で、
自分に差し出された校長の手は、
いざ何かで救いがほしいときの蜘蛛の糸であり、
その手のぬくもりは、
いつか、
自分が困ったときに求めることができる温かさでもある。
この日の感触と感動を忘れずに、

どんなときも、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい、
頑張ってほしいと願っている。
そして、将来、
ひとりひとりが、
その子なりの大事業を成し遂げてくれることを祈念しよう。

2010年11月20日土曜日

#151 そのとき、龍馬が信じたのは・・・? その1
















おはよがんす、まめでらしか~?

さて、
NHK大河ドラマ「龍馬伝」、
14日放送、
土佐の大勝負の一場面である。
大政奉還の建白書を書いてほしいという、
坂本龍馬や後藤象二郎の訴えに心を打たれ、
土佐藩主の山内容堂は徳川家への恩を思いつつも、
涙ながらに建白書を書く。
その建白書を渡しながら龍馬に問う、
「わしがこの建白書を書くと信じていた訳はなんだ?」と。


この問いに対しての龍馬の答えが良かったとです。


「大殿さまが武市さんの牢に来られたと聞いたからです。
 自分が尊敬していた武市さんは、
 最後まで大殿さまを敬愛しちょりました。
 その大殿さまが武市さんと同じ牢の地べたに座って、
 自分の大事な家臣じゃと言葉をかけてくださったと聞いちょります。
 そのようなお方なら、
 きっと理解してくださると信じちょりました。」


「同じ地べたに座って」

このことによって、
龍馬は
同じ目線で、
同じスタンスで、
同じ心で、
同じ夢をみることができる人だと直感したのだろう。

                   (つづく)

2010年11月13日土曜日

#144 大学は甘えている!
















~~「ゆとり教育」の影響で基礎学力が置き去りにされてきた。
~~その後遺症は深刻である。
~~基礎がないと思考できない。
~~詰め込みでもいいからしっかり学び、
~~その上で、
~~知識を使いこなす力をつける必要がある。

そんなことが、
有名大学の学長クラスの講演でも語られている。
本当にそうだろうか?
そもそも、
ゆとり教育で削除された義務教育の内容は、
しっかりした学生がその気で取り組めば、
一日か二日かでマスターできる程度である。
なにも、
50歳60歳を超えた学長さんが、
目くじらをたてなければいけないような内容・分量ではない。
それよりも、
大学生の学習意欲の欠如のほうが問題であろう。

知りたいときが学習の好機である。
学習の道筋をしっかり教わっていれば、
いつでも、
分かりたいと思ったときに学習できる。
それを身につけさせることのほうが大事であろう。

今の日本は、
何でもかんでも犯人捜しをして、
その犯人に責任をなすりつける風潮がある。
今の大学生は、
書く力、話す力、考える力が劣っていると言われる。
大学生に力が無いのは、
ゆとり教育のせいでもなければ、
義務教育や高等学校教育のせいでもない。
大学生の責任であり、
大学の責任である。
犯人は、
あなた自身である。

もちろん、
私の今、
私の人生、
すべて私の責任である。

2010年11月1日月曜日

#136  学校離れ!




























おはよがんす
まめでらしか~?


学校を退職してから、
もう1年半以上になる。

それなのに、
今、ここにいるということよりも、
もう、あそこに私がいないということのほうを、
強く感じている自分に驚くことがある。

現実よりも、
追想のほうが重く感じられる。
そんな年齢になったと言えばそれまでだが、
果たしてそれだけなのだろうか。
かといって、
現実に失望したり困惑したりしているわけではない。
むしろ、それなりの充実感も希望もある。

先日、教育研究所のロビーで、
5、6人の中学生と会話した。
とてつもなく懐かしかった。
その2、3分の短い時間に、
最高のランチをご馳走になったような、
得した気分である。

そんなことを考えている私は、
学校は離れたものの、
「学校離れ」はまだまだのようである。
しかし、いつかは、
「学校離れ」する時が訪れるだろう。
心配でもあり楽しみでもある。

今週も笑顔いっぱい元気いっぱい
夢いっぱい頑張りましょう!

2010年10月31日日曜日

#135 私はキャスター!
















・・・酒をやめ
・・・ギャンブルやめて
・・・旅行やめ
・・・まだ足りなくて 仕事やめ
・・・タバコやめたら 死んじまう


私はキャスターである。

でも、
ニュースキャスターでもお天気キャスターでもない。
「続煙キャスター」の私としては、
喫煙は切実な問題である。


つまり、
キャスターという銘柄のタバコを、
値上げ後も、
大きく膨らんだ税金を払う。

自分の健康を害してまで、
日本国のために、
納税の義務を果たす自己犠牲の精神で、
かたくなに喫煙し続けている。



というのは口実で、
もうやめられないし、
やめる気もない。


決めたんだ、
来世まで同行すると。

2010年10月28日木曜日

#132 廊下が動く夢
















家族や同僚、
そして、
友だちや仲間たちと、
夢を語り合いましょう
夢を語り合って生きよう。

夢は言葉になり、
言葉は意思になり、
意思になれば行動を生む。

行動は連帯を呼び、
夢を持って活動してると、
必ず賛同してくれる仲間が出てくる。

香取慎吾は、
家の廊下まで動かしてしまった。

だから、
今日も笑顔いっぱい元気いっぱい
夢いっぱい頑張りましょう!

2010年10月1日金曜日

#112  60歳の青春!











長い猛暑が去り、
やっと秋になったと思ったら、
朝夕の気温が涼し過ぎて、
陽射しが恋しいくらいである。
年寄りの身体は変化への順応性がにぶいので、
急激な気温変化に四苦八苦である。
我が儘ではなく、
身体が言うことをきかないのだ。


「青春とは臆病さを退ける勇気、
 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
 ときには、
 二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。」

サミュエル・ウルマンの「青春」である。

ウルマンに言われるまでもなく、
気力や心はまだまだ青春である。
(と思っている)

ところが、
困ったことに、
たるんできた皮下脂肪、
しぼんできた筋肉、
きしんできた関節たちが言うことを聞いてくれない。

それでも、
笑顔いっぱい元気いっぱい夢いっぱい
頑張りましょう!

2010年9月28日火曜日

#109 余白と李白
















 若い頃、生来の内気な性格から管理職や同僚にこびることが嫌いであった。だから、いつも人が集まっているところを避け、一人離れていた。昼休みなど、主任のまわりに群がって、親しく私語をかわしているような同僚が苦手だった。そのため、同僚とも必要最低限のやりとりしかせず、飲み会にも行かないし、行っても管理職のそばには近づきもしなかった。


 ある時、親しい先輩からこっぴどく怒られた。「おめだば、何考えているが、わがらねな」と。しかし自分では、バガしゃべりしている暇があったら、黙々と仕事している方がいいと思っていた。それでも、問題が発生したり、困った時には同僚や主任に相談するなど、必要なときに、必要なコミュニケーションはしっかりとってきたつもりである。


書道は筆使いの上手下手だけでなく、墨と余白のバランスだよ。書道だからといって紙面一杯に字を書けば、それは単なる黒い紙じゃないか。「仕事も職場も同じ、人生も同じだよ、余白が必要、余白が」そう言いながら、飲めない私をゴルフや山菜採りやパチンコに誘ってくれた先輩がいた。数年前に鬼籍に入ってしまったが、彼がいなければ今も紙面一杯に字を書き尽くす人生を送っていただろう。しかし、私の余白が普通の人以上に多すぎるのは、すべて彼の影響である。良い先輩でもあり、悪い先輩でもあった。


 必要なときに必要なコミュニケーションをとってきた。こう言えば聞こえはいいが、逆に、必要なとき以外はコミュニケーションをとらなかったのである。若い頃の必要なときとは、自分のミスでお手上げになったときである。懸命な私にとって、それは仕事の3%くらいの部分で、残りの97%は淡々とこなす日常であった。だとすれば、周囲の同僚や主任にとって、私の3%が私の全てであったのだろう。これでは、「何考えているが、わがらねな」と言われてもしょうがない。彼らの余白と私の余白を共有する時間が、もっと必要であったことは言うまでもない。李白に「月下独酌」という漢詩がある。 
 花間一壷酒 独酌無相親 挙杯邀明月 
 対影成三人 月既不解飲 影徒随我身
李白から人生を考えるのもいいが、余白から人生を考えるのも、また楽しからずや・・・である。

2010年9月24日金曜日

#105 夢物語
















子供を4人育て、
長男は地元秋田、
長女は北海道、
次女は京都で暮らし、
次男はオーストラリアに永住。

そして、
退職して暇をもてあます年齢になったら、
夫婦二人で四季によって生活拠点を変える。
四季移住である。

春はベースキャンプの秋田、
夏は涼しい北海道で大自然を満喫する。
秋は京都で仏像巡りを楽しみ、
冬には暖かい南半球のオーストラリアで暮らす。




・・・・・・なぁ~んて、考えたこともあったが、
      子供は二人。所詮、夢物語であった。


叶えられなかった夢を物語にしながら、
今日も
  笑顔いっぱい、
    元気いっぱい、
      夢いっぱい、
       頑張りましょう!

2010年9月21日火曜日

#103 男になる
















人は男に生まれてくるのではない。
男になるのだ。



人生のところどころに
そのための試金石が置かれている。


腕白時代のそれは、
メンコや竹馬だったり、
ケンカだったり、
あるいは、
鉄橋渡りであったりする。

青年期の山登りやギター、エレキ、バイクなども、
その試金石であったに違いないと思う。

今流に考えると、
少年時代のゲーム、
青年期のラップやボードなども、
その一つではないかという気がする。

その時期には、
胸が焦がれるくらいに、
そのこと自体が夢であり目的であった。
しかし、
数十年後に振り返ると、
それは、
男になるための通過点に過ぎなかったと思う。

男の目的ではないが、
男になるための通過点ではある。
すべてを通過する必要はないが、
恋いこがれた時期は、
全てを忘れるほど取り付かれてしまう。

しかし、
気をつけなければならないことがある。
法を犯すほどに、
魔力に取り付かれてしまっては、男になれない。
法律も仕事も投げ出してしまうのを、男と言わない。

日本男児は、
そのへんのケジメをつけることができる、
かっこいい男であってほしい。